丑の刻参り~避けてはいけない歴史の一つ
いつの世も、複雑怪奇な人間関係・・・悩みに悩みぬいた人には、他に解決方法が見つからないのかも知れませんが、この科学の発達した21世紀でも、縁切り寺や縁切り稲荷といった所に願をかける人が後を絶たないのだとか・・・。
京都は、河原町通りの法雲寺というお寺の片隅にある菊野大明神・・・。
あの小野小町のところに百日間通い、百日目にこがれ死にしたという深草少将が、小町を思いながら、毎夜座った石がご神体なのだそうです。
ほこらの裏側にある小さな穴に、縁を切りたい人の名前を書いた紙を押し込むのだそうで、その願いの暗さのせいか、中もとっても暗かった・・・
(注:私は縁を切りに行ったわけではありません。)
よく似た感じのお参りに、有名な『丑の刻参り』というのがあります。
この丑の刻参りは、「人を呪い殺すために願をかける」という、縁切りよりはるかに暗い祈願ですが、これがけっこう歴史があるのです。
古くは平家物語に書かれています。
以前、『橋の日』(8月4日参照>>)という記念日の日にチョコッとご紹介した『宇治の橋姫』のお話です。
嵯峨天皇の頃(809年~823年)に、夫の浮気に嫉妬した女が、貴船大明神に参詣して7日間籠り「憎い女をとり殺したいので、生きながら鬼にしてください」と願います。
すると、貴船の神は、「鬼になりたければ姿を変えて21日間、宇治川に浸かればよい」と答えたのです。
女は、髪を松やにで固めて五つの角を作り、顔や体を赤く塗って、頭には鉄輪をかぶり、松明を口にくわえて、深夜の都大路を疾走し、宇治川にその身を浸します。
やがて、21日たって、念願の鬼となった彼女は、自分を「あさましい・・・」と、さげすむ者すべてをとり殺したと言います。
室町時代から江戸前期頃に書かれた御伽草子では、かの女性は、やはり7日間『貴船明神への丑の刻参り』をした後、21日間宇治川に浸り、生きながら鬼となった後、憎い夫を殺そうと都に戻ってきた時、平安のスーパースター・安倍晴明によって追い払われ、念願は叶わなかった事になっています。
少しずつ変化した「丑の刻参り」が、時代劇で登場するような手順に定着するのは、江戸時代の頃・・・その方法は・・・
まず、手製のわら人形を用意。
当日の服装は白衣と白帯。
髪の毛はシャンプーして油分を落としておきます。
ただし、香油は呪いの効力を上げるのでOK.
頭には五徳(鉄輪)をかぶり、そこにろうそくを立て、首からは鏡を下げます。
黄楊(つげ)でできたクシの歯のほうを口でくわえ、高ゲタをはいて現地まで行きます。
ここで、裸足になって境内に入りますが・・・
実は、もう一つアイテムが必要です。
帯のところに、木綿(一反)の端をくくりつけます。
そして、この木綿が境内の地べたにつかないスピードで目的の木まで行かなくてはなりません。
木綿が一反・・・約11mです。
まさに疾走です。
約11mの布をヒラヒラさせながら、仮に到着したとして、かのわら人形を取り出し、人形を五寸釘を使って、木にカナヅチで打ちつけるのです。
この時、決まった呪いの言葉はありませんが、「アホ!ボケ!」とできる限り汚い言葉を大声で吐き続けなければなりません。
しかも、以上の事を、誰にも見られる事なく、7日間続けなくてはならないのです。
・・・てか、木綿で疾走の時点でムリでしょ・・・
そんな事できるなら、とっくに世界を目指してます。
だいたい、高ゲタはいて、山道登ってるだけでテンションだだ下がりです。
しかも、今まで、丑の刻参りの呪いで死に至ったという、ちゃんとした話は一つもありません。
勘違いしてしまいそうですが、よく考えると平家物語も御伽草子も、丑の刻参りで呪い殺したのではなく、自分で殺しに行ってます・・・どっちも失敗してますし・・・。
・・・にも関わらず、先の平家物語や御伽草子の記述のせいか、いまだに、貴船神社の境内では、五寸釘やわら人形が見つかるのだとか・・・。
確かに貴船神社の奥の院は、昼なお暗く、丑の刻参りの発祥の地にふさわしい、空気の張り詰めたような雰囲気が立ち込めてはいますが、それは、神々しい厳かな空気に他なりません。
貴船神社によれば、この丑の刻参りは、神聖な霊場を汚す行為で、決して、神様が願いを叶える事はないのだそうで、五寸釘やわら人形は、定期的に点検して、見つけ次第、撤去しているとの事。
こうなったら、迷惑行為以外の何物でもありません。
当時の人々の心の内が垣間見える歴史の一つとしては、丑の刻参りはとても興味深いですが・・・。
どうせ神様に願いをかけるのなら、相手の不幸より、自分の幸せに願いをかけてみようじゃありませんか。
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このページでご紹介した菊野大明神・橋姫神社・貴船神社への行き方はHPの【平安京魔界マップ】で紹介しています~コチラからどうぞ>>
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『四神相応の地』
その外観は大阪市民の希望により、黒田家に伝わる
現在の大阪城・・・徳川の石垣に、ビル群を従えて・・・誇らしげな勇姿です。
今日のイラストは、
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今日は、
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冥王星
まずは、御船千鶴子の実験・・・
大学を卒業してからも、月を中心とした天体観測を続け、
「あぁ・・・吉三・・・吉三・・」
この“十干”と“十二支”を“五行説”に当てはめると(右図→)、“十干”はそれぞれ二つずつ、“十二支”は、余るので“土”に四つで残りは二つずつあてはめられ、この考え方でいくと、“丙午”は「火と火」という事になるのです。

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