「幕臣の意地・彰義隊~散り行く上野戦争」に掲載
鳥羽伏見の戦いの後、将軍・徳川慶喜の警固のためと称し結成された彰義隊だったが、江戸城が明け渡され、治安維持の役目が幕府から新政府大総督府へと移る事が決定した後も、なおも、上野に居座り続ける・・・ついに新政府首脳陣は、彰義隊の討伐を決定し、兵法に通じた大村益次郎を江戸へ派遣し、やがて5月15日の上野総攻撃が決定する・・・く続きはブログの記事へ>>

(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)

 


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