大仏開眼
天平勝宝四年(752年)の4月9日、東大寺の大仏開眼供養が行われました。
・‥…━━━☆
全国から1万人の僧が集まり、ベトナムや唐、新羅の舞楽が演奏され、遠くインドの僧まで招かれた、それはそれは盛大なものだったようです。
その頃各地に天然痘が流行し凶作が続き、果ては反乱が起こり・・・と聖武天皇自身も怖くって都を離れて各地へ転々と逃げ回る日々でした。
各地に国分寺を建て、全国の国分寺の中心となる『大和国分寺』として、東大寺を建てて大仏を造立したのは、何かしないと怖くてたまらなかったって感じですかね。
くわしくは・・・
●大仏の大きさは聖武天皇の恐怖の大きさ>>
●恭仁京?志香楽宮?聖武天皇・迷走の謎>>
しかしそれには、莫大な費用と労力がかかったことは言うまでもありません。
ちなみに、この世紀の儀式で大仏に目を入れた方は、はるばるインドからやって来た菩提僊那(ぼだいせんな)(5月18日参照>>)というお坊さんです。
とにもかくにも・・・
大仏っつぁんデータ
大きさ
・像高・・・約10メートル
・顔の長さ・・・約4.8メートル
・重さ・・・250トン
・大仏殿の高さ・・・約47メートル(世界最大木造建築)
工事期間
・747年~752年
資材
・銅・・・444トン
・金・・・0.4トン
・水銀・・・2.2トン
・スズ・・・7.6トン
・炭・・・1178㎥
労力
・木工労働者・・・166万5071人
・材木関係技術者・・・5万4902人
・鋳造関係技術者・・・37万2057人
・鋳造労働者・・・51万4902人
のべとは言えこの時代に、都にこんなにたくさんの人がいたことが1番の驚きです。
東大寺への行きかたはHPでどうぞ>>
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コメント
こんばんは、またお邪魔しました~(笑)
大仏建立の経緯は漠然と覚えていましたが、重さまでは~~~さすがです、勉強になります! かなり雑学分野なデータにもお詳しいんですね~。
私も雑学好きで、本題とは違った情報に興味があったりします(笑) 例えば「重さ」つながりで言えば、法隆寺は1000トンとか東京タワーに使用された鉄が4000トンなどですね。 大仏さまが250トンなんて、やはり当時の鋳造技術は優れていたのでしょうねぇ。
ちなみに私は昨日からかなりの?風邪にかかってしまい、ブログは二日も更新していません。風邪には気を付けて下さいね~!
本当にこちらのサイトは勉強になります~また必ず寄りますよ~宜しくお願いしますね!
投稿: ルーシー | 2006年4月12日 (水) 23時52分