金閣寺建立
応永四年(1397年)4月16日、金閣の立柱棟上式が行われました。
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もと西園寺公経の別荘だったものを、当時41歳だった室町幕府第3代将軍の足利義満が譲り受けて、北山殿と呼ばれる別荘にしました。
どうやら、守護や僧侶に造営を強要したために、かなりの反発をかったようですがね。
義満が亡くなったあとは、その遺言によって、夢窓疎石(むそうそせき・夢窗疎石)(9月30日参照>>)を招いて禅寺として開山しました。
それが、京都にある有名な、現在の鹿苑寺(ろくおんじ)です。
当時は、境内も広く、堂もたくさんあったのですが、応仁の乱でほとんどが焼失して、江戸時代に再建されました。
現在の金閣は、昭和二十五年(1950年)に寺の僧の放火により焼失し、同じく三十年(1956年)に再建された物で、3層の楼閣で高さは、約12.5メートル。
1層目の法水院は寝殿造り、
2層目の潮音洞は鎌倉時代の武家造り、
3層目は禅宗仏殿風の造りです。
ただ、再建はされていたものの金箔が少し残念な感じになってましたが、昭和六十一年(1986年)の修理で、金箔約20キログラム、約7億4千万円が使われ、現在は、ほんとうに美しくなりましたね。
86年の修理に携わった方々の匠の技がまぶしく光ってます。
金閣建立にまつわる昔話…『楠の木の秘密』>>もどうぞ
銀閣寺との違いについては、6月27日の【銀閣寺が銀箔じゃないワケは?】へどうぞ>>
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