参勤交代、始まる
寛永十二年(1635年)6月30日、江戸幕府第3代将軍・徳川家光が、先代・秀忠の時代に定められた『武家諸法度』を改定し、新たに参勤交代の制度を定めました。
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将軍と大名の関係は、家光の代になって、やっと主従関係として定まったものの、未だ、いつ裏切るかわからない不安も残っていました。
そこで思いついたのが、各大名の妻子を、将軍のお膝元・江戸に、いわば人質として住まわせ、大名・本人は、原則一年交代で、国⇔江戸を往復させる・・・という参勤交代の制度です。
たしかに、この制度によって、全国的な文化の流通が始まり、各地の道路網も整備され、江戸の町に繁栄をもたらしましたが、各大名を悩ませたのは、その費用です。
もちろん、それは、将軍・家光の思うツボでもありました。
莫大な費用がかかる事により、藩の財政が圧迫され、軍備を整える費用もなければ、それだけ将軍家にはむかう者もいなくなるからです。
大名は、米や料理人も持参。
トイレもお風呂も持参します。
泊まる所は、『本陣』と呼ばれる各村の有力者の家がほとんどで、今も書いたように、米も料理人もついてきますから、いわば素泊まり・・・なのにもかかわらず、現在のお金に換算して一泊、10万~30万円の謝礼金を払っていました。
ある大名は、一回の費用が1億2千万円掛かったと記録に残しています。
60万石の大名が60万石の費用を使った・・・という記録も残っています。
参勤交代だけで、一年分の稼ぎを使っちゃった・・・って事ですね。
なので、時代劇などのイメージだと、「したに~、したに~」っと行列を組んで、ゆっくり歩いてるイメージがありますが、あんな感じになるのは江戸の町に入ってからの事・・・大名行列は、一般人の旅をするスピードより1.2倍くらい早かった、と言われています。
それは、一日でも早く江戸(もしくは国)に着いて、費用を少なくするため、必死で歩いていたんですね。
連れて行く人数も最小限にして、江戸の町に近づいた頃に、現地でバイトを雇って見た目をカッコよくつくろって、極力少ない費用で収めようと必死に努力してたんですよ。
お疲れ様です<(_ _)>
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