清涼殿に落雷!菅原道真の怨霊か?
延長八年(930年)6月26日、この五月、六月とほとんど雨が降らなかった事について、公家たちが殿上で話合っていた時の事・・・・突然、雷鳴が轟き、清涼殿の柱に落雷しました。
・‥…━━━☆
殿上にいた藤原清貫(きよつら)が衣を焼かれ、胸を裂かれて即死、
平希世(まれよ)が顔を焼かれて倒れ込みました。
さらに、
紫宸殿にいた美奴忠包(みぬのただかね)が頭髪を焼かれて死に、
紀蔭連(きのかげつら)は腹をかかえて悶え苦しみ、
安曇宗仁も膝を焼かれて倒れました。
また、
それ以前から起こっていた数々の悪しき出来事・・・。
人々は、藤原時平の策略によって、大宰府へ左遷され、悲痛の思いを抱いたまま死亡した菅原道真の祟りであると噂し始めます。
醍醐天皇はよほどのショックうを受けたのか、この日から病に臥せってしまいます。
菅原道真(すがわらのみちざね)の左遷については【菅原道真は学者じゃない?その策謀的政治手腕】(1月25日参照>>)に書かせたいただきましたので、今日はその雷神として祀られた菅原道真が、なぜ、学問の神様となったのか?というお話を・・・。
『天満宮御伝略記』によると・・・
道真さんは、生前、第一に神を貴び、第二に親孝行して、主君にはよく忠義を尽くし、物を読み、物を書く事を好んだんです。
心正しく素直であったから、神となってからも、忠孝の道を守らない者を憎み、読み書きを嫌う者に恵みを与えてはくれません。
だから、常に親や師の教えを忘れず、主君には大切に勤め、心を正直に持って、読み書きに精を出して、天満宮のお心にかなうようにする、そうすれば、天神様は罰を与えないのだそうです。
これを聞くと、天神様におまいりしたから、学問の成績があがるのではなく、学問を頑張った人に天神様がご褒美をくれる・・・って事なんですね。
やっぱり、楽して神頼みはダメか・・・
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