七夕の夜に日本最古のK-1ファイト
天平六年(734年)7月7日、あの大仏建立で有名な聖武天皇が、七夕の宴と相撲見物を行った・・・という記録があり、一般的にはこれが、七夕行事の起源とされています。
・‥…━━━☆
大阪の北東部にある交野市は、七夕発祥の地と言われています。
ここには、天の川が流れ、かささぎ橋がかかり、機物(はたもの)神社(祭神は織姫)があり、川の向こう岸には牽牛石と呼ばれる石があります。
くわしい場所や伝説は本家HP:大阪歴史散歩『交野ヶ原、七夕伝説』で>>
機物神社(はたものじんじゃ=大阪府交野市)は、もともと秦者神社で、4~5世紀頃、朝鮮半島の百済からやってきて養蚕と機織の技術を伝えた渡来人・秦氏の氏神でした。
彼らは、機織の技術とともに、ふるさとに伝わる七夕伝説を日本の地に伝えたのでしょうね。
一方・・・
七夕行事の最古の記録は、上記の通り天平の聖武天皇の時代ですが、おそらくは、それよりずっと以前から、七夕は伝わっていたらしく、七夕の行事の一つとして相撲見物・・・というより天覧格闘技が行われていた記録が、さらに古い時代に残っています。
それは、日本書紀の「垂仁天皇の七年7月7日に天皇の前で『死合』(←こんな字かよ!)が行われた」とあります。
垂仁天皇は、第十一代の天皇で、年代的には3世紀前半に在位したとされる天皇です。
当麻蹶速(たいまのけはや)という強い男が朝廷にやってきて「自分と力比べをしてくれる強い者を探している」と申し出て、ならば・・・という事で、出雲の勇士・野見宿禰(のみのすくね)が相手をする事になります。
しかし、その『試合』がまさに『死合』なんです。
両者は、向かい合って互いに足をあげて蹴り合い、宿禰が蹶速のアバラを蹴り折って、腰骨を踏んで殺してしまった・・・て言うんです。
これは、相撲というよりは、K-1いや、K-1もルールがあるし、もちろん殺しちゃいけません。
この『死合』はまさに、ルールなきストリートファイトですね。
ファイトマネーは、領地。
勝った宿禰は蹶速の領地を貰い受けています。
これが、日本最古の相撲の記録とされています。
(天孫降臨の前の出雲の国譲りのシーンで建御雷神(タケミカヅチ)が建御名方神(タケミナカタ)と力比べをするのを「日本最古の相撲」とする場合もありますが、これは神話なのでネ)
以来、格闘技が七夕の行事の一つとして、かの聖武天皇の奈良時代にも、7月7日におこなわれていたという事ですね。
現在の格闘技は年末に多い気が・・・でも、ボクシングはいつでもアリですね。
現在、蹶速の出身地であろう奈良県葛城市當麻にある当麻蹶速塚(たいまのけはやづか)の隣には、相撲の元祖=蹶速さんのゆかりの地という事で、全国でも珍しい相撲の博物館=葛城市相撲館「けはや座」があります。
★当麻蹶速塚&けはや座のくわしい場所は、本家HP:奈良歴史散歩「当麻の里」でどうぞ>>
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