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2006年7月13日 (木)

オカルトの日に後鳥羽上皇のオカルト話

 

昭和四十九年(1974年)7月13日に映画『エクソシスト』が公開された事を記念して、今日7月13日はオカルトの日なのだそうです。

・‥…━━━☆

映画公開の後、しばらくオカルトブームが続いたんですよね。

たしか『オーメン』とか『サスペリア』とか『ヘルハウス』とかのオカルト映画が次々と公開されました。

ところで、恐怖映画の手法として、人間の心理を突いた三大原則『サスペンス(違和感)』『スリル(不安感)』『ショック(驚き)順に場面展開をしていくと、人は恐怖を感じるそうです。

たとえば、外出先から帰宅したら、閉めたはずの玄関の鍵が開いていて、ドアを開けて中に入ると、どうやら部屋の中が荒らされている様子で「アレ?おかしいな」と思う違和感・・・これが、サスペンスです。

次の場面はおかしいと思いながら奥へと進んでいくと、タンスの引き出しが開けられ、洋服が散乱している「おかしい」と思った違和感が確実なっていく中をさらに奥へ・・・この「何かあったゾ」というドキドキ感がスリル。

そして、最後に一番奥の部屋を開けると、いきなり目の前に見知らぬ誰かが・・・これがショックです。

ここで大きな効果音か入れば完璧!心理学的に誰もが「怖い」と思うそうです。
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・・・・と、まぁ、『オカルトの日』の話が長くなりましたが、一応ここは、歴史ブログ

本日の、7月13日は、承久三年(1221年)に起こった承久の乱(5月14日参照>>)が失敗に終わった後鳥羽上皇隠岐に流罪となった日でもあります。(2月22日参照>>)

隠岐に流された後の後鳥羽上皇の消息が、ほとんど記録されていない中・・・ほんの少し、それも実にオカルト的な逸話が残っています。

百人一首で有名な藤原定家の日記によれば・・・
嘉禄元年(1225年)6月12日
「琵琶湖畔の志賀浦に、全身が青黒く光る羽根でおおわれ、眼は炎のように燃え、鋭い爪の生えた足が4本ある大きな怪鳥が多数現れ、それを殺して食べた者は、その場で絶命した。その鳥は『隠岐掾(おきのじょう)と呼ぶ」と記されています。

隠岐掾とは隠岐の国司、隠岐は流刑地なので、そこで国司のようにエライ人と言えば・・・

つまり後鳥羽上皇の事・・・怪物の鳥を、そんなお方の名前で呼ぶとは!!

はたまた、延応元年(1239年)のある秋の夕暮れ、隠岐に住む漁師が島に帰ろうと舟を急がせていた時、島全体を覆い隠すような数のこの怪鳥の大群を目撃・・・その鳥はしばらく上空を旋回した後、一斉に南東(都)の方角へ飛んでいったというのです。

その同じ時刻、隠岐では、20年間の幽閉生活をおくった後鳥羽上皇が、京の都の地を踏むことなくこの世を去ったというわけで、しばらく、京の都はこのウワサでもちきりだったとか・・・。

怪鳥の話は、どこまでが事実なのかは定かではありませんが、それが都で噂になったという事は、それだけ、後鳥羽上皇は幕府への深い怨みを持ったまま亡くなったと人々に思われていたわけです。

Hyakuninissyucc ここで、上記に登場した藤原定家・・・

彼が選んだという有名な『小倉百人一首』は、とても天才歌人が厳選したとは思えない、妙な歌の選び方をしているとの評判なのをご存じですか?

実は、それには、無念の死を遂げた後鳥羽上皇が深く関わっているとの噂もがあります・・・そのお話は、5月27日【百人一首に隠された暗号】のページへどうぞ>>
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