ザビエルが以後よく広めるキリスト教
天文十八年(1549年)7月3日、イスパニアのキリスト教宣教師、フランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってきました。
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この2年前の1947年、マレー半島のマラッカに滞在していたザビエルのもとを、アンジロウ(ヤジローとも)という日本人の青年が訪ねてきました。
故郷、鹿児島で殺人を犯して逃げていたアンジロウは、罪の重さにさいなまれ、ザビエルに救いを求めてきたのでした。
ザビエルの一言々々に感銘をを覚え、心救われたアンジロウでしたが、彼以上に感銘を受けたのはザビエルにほうでした。
アンジロウの話す、故郷・鹿児島の事、日本人の事、・・・ザビエルは深く心を動かされ、日本に渡る決意をします。
イエズス会員コスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、マヌエルという中国人、アマドールというインド人、そしてゴアで洗礼を受けたばかりのアンジローら3人の日本人とともにジャンク船に乗り込んだザビエルは、ゴアを出発し、一路日本へ・・・
かくして天文十八年(1549年)7月3日、鹿児島は薩摩半島の坊津に上陸したのです。
日本に上陸後は、まずは島津貴久に謁見して許可を得、鹿児島でキリスト教の布教活動を始めました。
その後は平戸や山口でも布教活動をしています。
最初はたどたどしい日本語で、あまり、うまくはいかなかったようですが、そのうち禅僧と霊魂の不滅について禅問答をするくらい日本語がうまくなったそうです。
ザビエルさんは、長身で、なかなかのイケメンだったらしく、女性にも人気があったとの事。
しかし、異教徒への伝道となると難しく、信者は思うように増えず、滞在した2年間で約1500人程だったそうです。
それでも、ザビエルさんは「日本人は、現在までに発見された人民の中で一番善い人々だ」と、当時のヨーロッパで抱かれていた日本の印象とはまったく違う高い評価をしてくれています。
●ザビエルさんのご命日=12月3日の【ザビエル死して奇跡を残す】>>もどうぞm(_ _)m
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コメント
昔、子供のころに見た大河ドラマで織田信長のナレーションがザビエルだった気がします。違ったかも。それが意外と良かった気がします。それ以後よく広めるキリスト教も、歴史の授業で習った気もします。懐かしいです。
投稿: minoru | 2011年7月 3日 (日) 11時33分
>minoruさん
1992年「信長」です。ナレーターはルイス・フロイスです。
再来年の主人公もキリスト教に縁がある人なので、クリスチャンにとっては、2013年は「我が世の春」かな?
投稿: えびすこ | 2011年7月 3日 (日) 15時18分
言われてみれば、大河ドラマキリスト教関連ですね。信長は、92年でしたか?その時は子供じゃなくて学生でした。勘違いです。
投稿: minoru | 2011年7月 3日 (日) 15時36分
minoruさん、
えびすこさん、
こんにちは~
その時の大河を見ていないので、アレですが、ナレーションがフロイス…
なかなか想像し難いナレーションです。
投稿: 茶々 | 2011年7月 3日 (日) 17時17分
江戸時代になると禁止されたキリスト教は、明治になってから「政府公認」となってようやく日の目を見ますね。幕末に開国した時点でキリスト教が世間に浸透するのは、禁止を継続してもある程度は想定できた(キリスト教の布教はしない条件で、欧米諸国が外交・通商条約を結んだのかな?)と思うんですが、幕府の首脳がそれに気が付いていたのかどうか?
再来年の大河の主人公の新島八重さんが、キリスト教を知るのは新島襄に会った時か、それともまだ会津にいた時か。
結婚する少し前まで「御禁制」だったキリスト教に、難なく溶け込めた(改宗した)のはどういうきっかけか?大河ではどう描写されるかな。
投稿: えびすこ | 2011年9月 1日 (木) 09時50分
えびすこさん、こんにちは~
新島八重がキリスト教に出会うのは京都に行ってからだと思います。
ただ、それでも襄と知り合う前だったと思いますが…
投稿: 茶々 | 2011年9月 1日 (木) 16時49分