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2006年7月25日 (火)

平家・都落ち~維盛の都落ち~

 

寿永二年(1183年)7月25日、平家が安徳天皇を奉じて都落ちをしました

・・・・・・・・・

もう、すでに北陸での合戦の平家軍の大敗は、京の都にも伝わっていました(5月11日参照>>)

いよいよ源氏が攻めてくる、町中で戦が始まるのは今日か・・・明日か・・・と、京中の家が門も戸も閉めて、中で念仏を唱えていた・・・と言います。

後白河法皇は、早々と平家に見切りをつけて、24日のうちに、御所を抜け出して比叡山に入り、一番先に京の都にやって来るであろう木曽義仲を待っていました。

平家一門は、やむなく法皇の同行をあきらめて、建礼門院徳子(平清盛の娘で安徳天皇の母)に抱かれた6歳の安徳天皇をつれて都を出ます。

寿永二年(1183年)7月25日、早朝の事でした。

先の義仲との戦いの時にも、平家の呼びかけに西国の武士たちはけっこう答えてくれていましたから、「西国に行って体制を立て直せば何とかなる」と、平家にとっては、100%の逃げではなく、大いなる希望を持った都落ちでしたが、安徳天皇につきそう公卿はわずか3人でした。

やはり、ほとんどの公家たちは、法皇同様、平家に見切りをつけていたのかも知れません。

栄華をほこった六波羅西八条はもちろん、家来の宿所や在家にも火を放ち、京の都は一瞬にして焦土と化しました。

そして、中には、行進する列の途中から、平家の赤旗を捨てて、都に引き返す者も出たりなんかして、翌日、今は亡き清盛との思い出の地・福原へ着いた時は、残った一門の結束はむしろ強くなっていました。

そして、まもなく、福原の内裏にも火を放って、皆船に乗り、この後平家一門は船で西海へと落ち延びて行くのです。

平家物語軍記物語の代表、と言われますが、作者はこの都落ちのシーンに関しては、ことのほか思いをを込めて、人間の美しさ、深い愛情、滅び行く者の哀愁を語るのです。

ことに平維盛(これもり)の都落ち・・・平家一門の中ではこの人だけが妻子を都に残したまま旅立つ事もあってか、とりわけ同情的に別れのシーンを描いています。

別れの時が迫った維盛は、
「俺が死んでも、尼になんかならんと、誰かよい人を見つけてふたりの子供をしっかり育ててくれ」
と奥さんに頼みます。

しかし、奥さんは
「同じ野原の露と消え、ひとつ底のもくずとならん」
袖にすがるのです。
(セリフ回しがいいですねぇ~)

出立しようと馬にまたがれば、10歳の息子(2月5日参照>>)8歳の娘
「どこへお出かけなさるのですか?私も参りましょう」
と、鎧にすがります。

平維盛は、清盛の長男・重盛の息子・・・平家嫡流としての誇りと責任があります。

安徳天皇の行列は、もうとっくに都の先のほうに行きました。
早く追いつかなくてはなりません。

最後に、弓のはしで、サッとすだれをかきあげ、もう一度3人の顔を見てから、静かに、維盛は都を落ちて行くのでした。

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当時、平家の邸宅が立ち並んでいた六波羅蜜寺

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源平争乱の時代」カテゴリの記事

コメント

悲しい(ノ_・。)...高清は、預かってあげたい。でも、我が子を思う気持ちが伝わります!。

投稿: ゆうと | 2012年4月 9日 (月) 18時17分

ゆうとさん、こんばんは~

ここは平家物語でも屈指の名場面ですからね~

投稿: 茶々 | 2012年4月 9日 (月) 23時28分

維盛が妻子を都に残していったのは「追い詰められた平家の仲間達によるいじめ対策」でもあったのかな…と思います。
維盛の奥さんは清盛の政敵の娘ですから「アイツの親父も都落ちの原因の一つ!血縁者のアイツを見ているだけでイライラする!」なんて、邪な事を考える輩がいないとも限りません。
維盛は思慮深い、優しい人だったと思います。

投稿: ななし | 2016年12月28日 (水) 22時43分

ななしさん、こんばんは~

そうですね。
それ系のお話は、本文にもリンクした息子の六代くんのページ>>維盛の入水自殺のページ>>にも書かせていただいているんですが、
平家にいれば肩身が狭く、源氏からは命狙われる…この状況は切ないですね。

投稿: 茶々 | 2016年12月29日 (木) 01時24分

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