大岡・名裁きは本当?
元文元年(1736年)8月12日、徳川吉宗が江戸町奉行に19年間在任した大岡越前守忠相を寺社奉行に任命しました。
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享保の改革をした徳川八代将軍暴れん坊・吉宗さん(6月18日参照>>)。
人材投与にも力を入れた人ですが、そんな吉宗さんの大のお気に入りがドラマやお芝居でもお馴染みの大岡越前=忠相(ただすけ)さんです。
あの胸のすくような大岡裁きは本当にあったんでしょうか?
大岡さんは、町奉行を務めた19年間で、裁いた件数がなんと!25万9千件。
計算してみると・・・1日当たり37件という数字に・・・。
ホンマかいな?と疑いたくなるような数字ですね。
もちろん現在の裁判制度とはまったく別物ですから、比較はできませんが、たまには休日をエンジョイする日もあっただろうと考えると大変な数です。
たしかに大岡さんは、常に公平に真実を追究し、なるたけ寛大な処置をするよう心がけていたようです(11月2日参照>>)。
あったかい心の持ち主で、吉宗さんもそんな所がお気に入りだったんでしょうか。
当時、仲が良かった蘭学者の青木昆陽(こんよう)(3月9日参照>>)らを通じて海外事情にくわしかった大岡さんが、裁判の時に諸外国の説話などを交えて判決を下す、その口ぶりが聞く人に「ヨッ!大岡・名裁き!」・・・の印象を与えたんでしょう。
実際には、正式な記録に残っているもので、ドラマのような名裁きと思われるものは2~3件だと言われています。
吉宗に「今まで謝って何人殺しんだ?」と聞かれて、真剣な顔で「二人です」と答えたという大岡さん。
真面目なかたですから、裁きが終わったあとも自分自身で振り返って、ほんとうに正しかったのかどうか考えたりしていたんでしょうね。
そこんトコがやっぱり名奉行と言えるところなんでしょう。
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コメント
暴れん坊将軍・徳川吉宗が大河ドラマの主人公になったのですから、今度は名奉行・大岡忠相をいつの日か(早くても2013年。町奉行就任300年だと2017年?)主人公にしてほしいですね。平和な時代なので、最近目立つ「極端な脚色」がいらない、と言う利点もあります。
「タイトルをどうするのか?」と言う問題さえクリアすれば可能性大。
投稿: えびすこ | 2010年8月12日 (木) 09時06分
えびすこさん、こんにちは~
あまりにも、史実だったとされる事が少なすぎて1年もたないような気もします。
まぁ、最近の大河の創作満載ぶりだったら、大丈夫かも知れませんが…
投稿: 茶々 | 2010年8月12日 (木) 14時46分