ザンギリ頭を叩いてみれば…
明治四年(1871年)8月9日、明治政府が『断髪令』を発布しました。
・・・・・・・・・・・
要するに、「ちょんまげを切って、洋風の散髪をしなさい」というおふれを出したんですね。
これは、岩倉具視の意見だそうで、その頃、欧米諸国が日本の風俗に難癖つけて、なかなか外交問題が解決しなかったらしく、法令として決めちゃいました~って事です。
とか言いながら…
「君だけチョンマゲやないか~~い!」
と一応突っ込んでおこうww
上の写真は、ご存知!
有名なカミナリ岩倉使節団(いわくらしせつだん)の写真↑…ですが、
この使節団が通商条約改正予備交渉の為に派遣される事が決定したのが明治四年(1871年)10月8日(10月8日参照>>)、実際に出発したのが明治四年(1871年)11月12日で帰国が明治六年(1873年)9月13日ですから、
意見しちゃうワリには、自分は…って気がしないでもない。。。
とは言え、岩倉さんもそうであるように、千数百年続いた長い長い習慣ですから、ハイそうですか!ってすぐに短くできる人ばっかりじゃありませんしね。
各地で相当トラブルになったみたいです。
散髪屋は、その頃は西洋床と呼ばれていて、もうすでに明治二年(1869年)に横浜の南京町と、東京の銀座に開店していました。
当時も、何人か有名な理髪師、今で言うカリスマ理容師さんがいたようですね。
散髪屋さんの前に今もある例のグルグル回るヤツ・・・あれは、有平棒(あるへいぼう)という名前で呼ばれていて、東京の庄司辰五郎という人が明治四年(1871年)に始めて使って、他のお店も次々と、それに習ったという事です。
名前の由来は、当時流行っていた南蛮風のねじり飴の名前が有平糖と呼ばれていて、形が似ていたからです。
なかなか髪を短くする事に抵抗のあった当時の人たちも、明治六年(1873年)に明治天皇が散髪してからは、庶民にも一気に広がり始め、明治二十年(1887年)頃には、もう98%の国民がザンギリ頭になっていたとか・・・。
♪半髪頭を 叩いてみれば
因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする
♪総髪頭を 叩いてみれば
王政復古の音がする
♪ザンギリ頭を 叩いてみれば
文明開化の音がする
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コメント
ザンギリ頭を…には、総髪バージョンなどもあったとは驚きです。それにしても天皇陛下の影響力は絶大ですね。
投稿: Ikuya | 2011年8月11日 (木) 17時50分
70年代と90年代後半に男性の長髪が流行しましたが、最近はあまり見なくなりましたね。
NHKの「タイムスクープハンター」では、地毛に月代を広く剃ってのちょんまげでした。あれに「昔の人」の役で出た男性は、一旦髪を全部剃って丸坊主にするそうです。
投稿: えびすこ | 2011年8月11日 (木) 18時06分
Ikuyaさん、こんばんは~
明治天皇は、ヘアスタイルやらファッションやら、国民の見本となるべく、新しいものにどんどん挑戦されましたね。
男性は天皇陛下を、女性は皇后陛下をお手本に、国民こぞって文明開化へと進んでいったのですね。
投稿: 茶々 | 2011年8月11日 (木) 23時26分
えびすこさん、こんばんは~
リアルさを追及した「タイムスクープハンター」では、役者さんはズラなしで頑張ってはりましたね~
第4部のはじまりが待ち遠しいです。
今週は、「双方向クイズ」にハマってます。
テーマが戦国なので…
投稿: 茶々 | 2011年8月11日 (木) 23時30分
ところで大相撲関係を除く「床山」は、今どれくらい数がいるんでしょうか?結婚式の時に地毛で島田髷を結う女性もいると聞くので。床山さんは水戸黄門が終わると、(テレビでは当面)NHKしか仕事がなくなりそうです。
双方向クイズは私もやっています。今夜ですね。
投稿: えびすこ | 2011年8月12日 (金) 17時28分
えびすこさん、こんばんは~
テレビの時代劇が少なくなっても、劇場でのお芝居があるから大丈夫なんじゃないですか?
投稿: 茶々 | 2011年8月12日 (金) 20時07分