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2006年8月 7日 (月)

煙とともに、灰、左様なら~十辺舎一九が死す

 

天保二年(1831年)8月7日、『東海道中膝栗毛』で有名な、十辺舎一九が亡くなりました。

・・・・・・・・・・・

十辺舎一九(じっぺんしゃ いっく)は、明和二年(1765年)生まれ。

駿河(静岡)千人同心(郷士身分の幕臣集団)の子供で、小田切家に仕えていた時に、赴任先の大坂で浄瑠璃を見物し、浄瑠璃作家にあこがれて、物書きをめざすようになります。

その後、江戸に出て、萬屋重三郎(よろずやしげさぶろう)という出版元の家に居候しながら、本の執筆をしました。

その頃の著書には、『心学時計草(しんがくとけいぐさ)などが、あります。

それから、もちろん大ベストセラーとなった『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)も・・・。

『東海道中膝栗毛』は、正編・続編合わせて三十二編、21年かけて刊行された超大作です。

最初は、版元の萬屋さんが、引き受けてくれず、別の版元から出版しましたが、あれよあれよと言う間に大人気に・・・。

一大ブームを巻き起こし、よく似た膝栗毛本が次々に出たとか・・・そういう所は、昔も今も変わりませんねぇ~。

動物占いがヒットすれば次々と、寿司占いとか、色占いとか・・・。

今、ゲームの世界がスゴイですよね、脳ブームで・・・。

Zyuppnsyaikku600at ところで、その『東海道中膝栗毛』は、親から受け継いだ財産を、役者道楽で食いつぶした栃面屋弥次郎兵衛(とちめんややじろべえ)と、役者くずれの喜多八(きたはち)が、お伊勢参りをする道中のドタバタコメディです。

狂歌や絵が得意だった一九は、ところどころにに歌や挿絵を盛り込んで、ダジャレを駆使した軽快な語り口。

弥次さん喜多さんは、行く先々で失敗したり、女にチョッカイ出してフラれたり・・・。

オマケに旬の有名人である『仮名手本忠臣蔵』天川屋義平を登場させたり、弥次さんに十辺舎一九の名を騙らせたりと、これでもか!というパロディの大サービス。

それでいて、「ここぞ!」という旅の名所や、土地の名物は絶対に外さない、ガイドブック的要素もバッチリ!

おみごと!と言うほかありません。

よほど、私生活も楽しい人だったんでしょう。

『今日は何の日?』のブログをやってきて、これまで何人かの人のご命日について、○月○日、今日は○○さんの亡くなられた日です・・・・と書いてきましたが、ご命日なのに、これほど楽しく、軽快にキーボードが打てたのは、始めてですね。

それに、一九さんは自分の葬式のとき、遺骸がだびにふされると同時に花火が上がるように仕掛けをしておいて、参列者を驚かせたそうです。

そんな一九さんの時世の句は・・・

♪此の世をば どりゃお暇に せん香の
   煙とともに 灰 左様なら ♪

時世の句にあるまじき楽しさです。

ホント、最後の最後まで、やってくれます。
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コメント

すごい人だったんですね。知りませんでした、勉強になります~

投稿: minoru | 2011年8月 7日 (日) 16時00分

minoruさん、こんにちは~

最後の最後まで痛快…うらやましい人ですね。

投稿: 茶々 | 2011年8月 7日 (日) 17時13分

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