御成敗式目て何じゃらホイ?
貞永元年(1232年)8月10日、執権・北条泰時が『御成敗式目』を定めました。
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定められた時の年号から『貞永式目』とも呼ばれる『御成敗式目』。
歴史の教科書には必ず太字で、重要項目として書かれていますが、いったいどんな物なんでしょうか。
一言で言うと(リンカーンじゃないですが・・・)
『武士の、武士による、武士のための法律』ってとこですね。
9年前に起こった承久の乱(5月15日参照>>)の勝利で、全国支配が可能になった北条政権が、ここに来ていよいよ法律の制定に乗り出したわけです。
51か条から成るこの法律は、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時からの、色々な裁判例に基づいて、領地のもめ事や財産の相続などを、身分の高い低いを問わず公平に裁くための物で、守護の職務についてや、地頭の役目、御家人の身分、財産相続に関するきまりごとが中心です。
武士の大部分が律令を知らないために、朝廷の裁判官の都合の良いように裁判されてしまう現状を打破するための物でもあります。
この『御成敗式目』は、武士だけに適用された法律ですが、これから後に作られる足利尊氏の『建武式目』(11月7日参照>>)や、徳川幕府の『武家諸法度』などにも、武家の法律のお手本として、大きな影響を与えました。
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コメント
泰時は、優しい人で、法律を間違えることの無いようにこの法律を作ったそうです。
投稿: 6幡太郎 | 2012年7月26日 (木) 15時34分
6幡太郎さん、こんにちは~
なるほど、泰時さんは優しい人だったんですね~
投稿: 茶々 | 2012年7月26日 (木) 16時47分
子供の時、頼ともに挨拶しなかった人が、叱られるのを見て、叱るのをやめさせたそうです。
投稿: 6幡太郎 | 2012年7月27日 (金) 09時34分
そうですか…(゚ー゚)
投稿: 茶々 | 2012年7月28日 (土) 03時09分