« 日本初の野球中継は… | トップページ | 石橋を叩いて渡る北条早雲 »

2006年8月14日 (月)

『仮名手本忠臣蔵』初上演

 

寛延元年(1748年)8月14日、討ち入りから50年近くたったこの日、『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』が、大坂・竹本座で初上演されました。

・・・・・・・・

ちょっと前までは、外題に困れば忠臣蔵という事がよく言われ、劇場の入りがどんなに悪くても、とりあえず忠臣蔵の芝居をやっとけば、お客は入る・・・のだそうです。

それくらい、日本人の魂を揺さぶる作品なんですよね、この忠臣蔵って・・・。

忠臣蔵は、ご存知、赤穂浪士が亡き主君のあだ討ちをしに、吉良邸へ討ち入りをした事件を(12月14日参照>>)、人形浄瑠璃の戯曲として『仮名手本忠臣蔵』の題名で上演された物です。

Tyuusingura2hirosige600a
広重が描いた忠臣蔵・二段目

しかし、実は『仮名手本忠臣蔵』が上演される以前から、赤穂浪士の討ち入り事件は、それぞれ別の題名で、何度もお芝居として上演されていて、『仮名手本忠臣蔵』は言わばそれらの集大成!と言った感じで、今だと完全に著作権法違反・・・でも、もともとの話は事実だからドキュメンタリーなわけですからね。

よく、ドラマの最後にテロップで出る『この作品は事実をもとにしたフィクションです』って言うアレですね。

でも、数多くの中からこの『仮名手本忠臣蔵』が現在に残る・・・という事は、やはりこの作品が一番良い出来だったからでしょう。

しかし、驚くなかれ、
討ち入り直後どころか、実は、討ち入りの前に、すでにお芝居として上演されたいたのです。

もちろん、それは、『仮名手本忠臣蔵』という題名ではなく、東山栄華舞台(ひがしやまえいがのぶたい)という題名なのですが、あの浅野内匠頭が、江戸城松の廊下で吉良上野介に斬りかかった刃傷事件(3月14日参照>>)のあったその月に、早くもその刃傷事件を題材にしたお芝居が上演されたと言います。

吉良邸討ち入り後は、その翌年の正月(討ち入り12月やから・・・正月ってメッチャ早っ!)京都で、二月には江戸で、『傾城三ツ車(けいせいみつぐるま)『曙曾我夜討(あけぼのそがのようち)などという題名で上演されたとか・・・。

曾我兄弟のあだ討ちとからませてあるのは、江戸時代は実名上演禁止だったためで、『仮名手本忠臣蔵』でも、主人公の名前は微妙に変えられていますよね。

ともあれ、現代の私たちが、メディアだ!ニュースだ!ネットだ!とスピードの早さでは負けないと思っていましたが、どうしてどうして、江戸時代の庶民のニュース・スキャンダルへの食いつきの早さは、たいした物です。

ところで、私たちにとっては、冬場のイメージの強い忠臣蔵が、この夏の盛りに初演されたのにも驚きますね。

それは、この忠臣蔵・・・今回の初上演の少し後からではありますが、江戸時代を通じて、おおむね二本立てで上演されていたんですね~。

その、もう1本というのは・・・ご存じ、四谷怪談・・・っと、そのお話は、【もう一つの忠臣蔵~四谷怪談】でどうぞ>>
 .

 .
あなたの応援で元気100倍!

人気ブログランキングへ    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 日本初の野球中継は… | トップページ | 石橋を叩いて渡る北条早雲 »

江戸時代」カテゴリの記事

コメント

討ち入り前後に台本を書いた人はどうやって聞き取りをしたんでしょうか?仇討ちの計画は他人に漏れたら困る(隠密にわかると吉良上野介が逃げる可能性がある)情報でしたので、浪士や協力者が気安く誰かに教えないですよね?
今日の週刊誌の記者の様に張り込み取材したのかも?
仮名手本忠臣蔵は今日の映画やテレビの忠臣蔵もののオリジナルですね。今年の「新春ワイド時代劇」でも堀部安兵衛が主人公でしたね。

投稿: えびすこ | 2012年8月14日 (火) 16時32分

なぜ夏に忠臣蔵なのか?
「夏は怪談」が定着したのは、芝居小屋が、客の入りが悪い夏に少しでも涼しさを感じてもらおうとして始めたから、と聞いたことがあります。稲川淳二さんもおっしゃっていましたが、怪談は冬の夜話だったそうです。冷房のない夏の芝居小屋は確かに不人気でしょうね。
大当たり間違い無しの演目だからあえて入りの悪い夏に上演されたのかも。
「取材方法」は、関係者の家の使用人に酒をおごったり遊郭に連れて行って聞き出す、だと思いますけど。当事者本人たちには直接会ってはいないでしょう。

実は私赤穂浪士が嫌いです。将軍綱吉は討ち入り後の浪士の処分に悩んだそうですが、なんで事前に浪士を捕まえなかったんだろう。

投稿: りくにす | 2012年8月14日 (火) 20時58分

えびすこさん、こんばんは~

刃傷事件は、聞きとりというより、噂話を芝居にした感じじゃないでしょうか?
仇討に関しては、本当に仇討をするかどうかわからないまま、こうなったらオモシロイというテイで創作したのではないかと想像します。

投稿: 茶々 | 2012年8月15日 (水) 02時13分

りくにすさん、こんばんは~

幕府は事前に討ち入りを知っていたようですし、むしろ討ち入りしやすいように吉良邸を、町中から郊外へ移転させてますよね?

事前に捕まえるどころか、容認してたんじゃないでしょうか?
そもそも刃傷事件の采配がおかしかったようですから…

投稿: 茶々 | 2012年8月15日 (水) 02時17分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『仮名手本忠臣蔵』初上演:

« 日本初の野球中継は… | トップページ | 石橋を叩いて渡る北条早雲 »