鬼神の如き朝比奈義秀の話
正治二年(1200年)9月2日の出来事として、朝比奈三郎義秀の逸話が『吾妻鏡』に登場します。
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義秀は、あの鎌倉幕府の重臣・和田小太郎義盛の三男です。
源頼朝(みなもとのよりとも)の死後、鎌倉幕府の実権を握りたい北条氏は、梶原景時(かげとき)(1月20日参照>>)、比企能員(ひきよしかず)(2009年9月2日参照>>)といった源平合戦の時からの重臣を次々と失脚に追い込んでいきます。
さらに北条氏は、和田義盛をも怒らそうと画策し、見事その術中にはまってしまった義盛は、建保元年(1213年)に反乱を起こします。(5月2日参照>>)
この乱で、群を抜いて鬼神のごとき活躍をするのが、義盛の三男・朝比奈三郎義秀なのですが、今回のお話は、その13年前の正治二年(1200年)9月2日のお話・・・
この日、鎌倉二代将軍・頼家(よりいえ)が鎌倉の海を遊覧した時のエピソードです。
海上に舟を浮かべて、舟遊びを楽しんでいる時、義秀の泳ぎの上手さが話題となりました。
その頃、義秀はまだ12~3歳の少年だったと思われますが、その芸とも言えるくらいの評判を聞いた頼家が
「是非見たい」
という事になり、義秀は舟から海に飛び込み、舟と岸の間を数回往復して見せた後、海に潜ったまま、しばらく浮かんできませんでした。
あまりに時間がたったため、まわりが心配をし始めた頃、プク~ンと浮かんできた義秀の両手には3匹の鮫が握られていました。
頼家の舟の前までやってきて、今、素手で捕まえた獲物を差し出します。
感激した頼家は、自分の愛馬を褒美に与える事を約束します。
しかし、その馬はかなりの名馬で、家来たち皆がかねてから欲しいと心の中で思っていた馬でした。
なかでも、和田義盛の長男(つまり義秀のお兄さん)新左衛門常盛は、どうしてもその馬を手に入れたいと思い
「水練では負けるかもしれませんが、相撲では私のほうが上手です」
と頼家に申し出ました。
たしかに、いくら運動神経バツグン、スポーツ万能でも、義秀はまだ少年です。
長男の常盛のほうが体格ではずっと勝っているわけですから・・・。
それならば、この名馬を賭けて・・・という事になり、丘にあがっていざ!相撲勝負と相成ります。
見合って・・・そして、ぶつかって・・・一進一退のなかなかの名勝負でしたが、まわりの見た目には、やや義秀が有利に見えました。
あまりの名勝負に頼家は、勝負の途中でストップをかけ、両人に花を持たせようと、引き分け・・・という判断を下します。
ところが、その瞬間、常盛は裸のまま一目散に馬のもとへ駆け寄り、飛び乗ったかと思うとそのまま逃げていってしまったのです。
横取りの早さでは常盛の勝ちだ・・・とばかりに、その場にいた者たちは大笑いしたのだとか・・・
この日のエピソードは以上ですが、面白いのはこの朝比奈三郎義秀の母が、あの木曽義仲の愛妾・女武者の巴御前である・・・という話が『源平盛衰記』に書かれています。
それによると、未来の夫になるべく鎌倉に来ていた木曽(源)義仲の息子・義高が、義仲の死後に頼朝に殺された事で、頼朝の娘の大姫が病気になってしまった(7月14日参照>>)ために、頼朝・政子夫婦がなんとか大姫の機嫌をなおそうと、義高の叔母である巴御前を鎌倉に呼んだ、というのです。
しかし、巴御前は、女とは言え実際に戦場で大活躍した武将です(1月21日参照>>)から、鎌倉の武士たちの中には、仲間の仇だと思う者もいて、処刑すべきでは?との声も出ていました。
そんな時、和田義盛が頼朝に申し出ます。
「自分は、この鎌倉で1・2を争う剛の者。巴御前は一騎当千の女武者。
ふたりの間に生まれた子供は、さぞや武勇優れたつわものになるに違いありません。きっと後々幕府のお役に立ちましょう」と・・・。
真偽の程はさだかではありませんが、琵琶湖のほとりで、木曽殿とお別れしてから、故里に帰って尼になりました・・・よりは、とほどドラマチックで面白いと思います。
一騎当千の女武者と、鬼神の如き若武者を結びつけたくなる気持ちも、わからないではありませんね。
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コメント
義秀の生年は1176年ですので、巴御前の子ではありえません。
また頼家とのエピソードも、4歳しか歳の離れていない常盛とのエピソードも、義秀の武勇を讃えるための作り話です。
投稿: | 2013年12月13日 (金) 16時15分
そうですね。
なので「一騎当千の女武者と、鬼神の如き若武者を結びつけたくなる気持ちも、わからないではありません」です。
生存説も含め、「こうあって欲しい」と思う人の気持ちから生まれた伝説は、義秀に限らず、古今東西数多くありますね。
投稿: 茶々 | 2013年12月13日 (金) 16時36分