正岡子規は野球好き
明治三十五年(1902年)9月19日は、歌人・正岡子規のご命日です。
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彼は、慶応三年(1867年)、現在の愛媛県松山市で、松山藩士の長男として生まれました。
大学中退後、新聞「日本」に入社(4月7日参照>>)、ここで俳句・和歌の革新運動を起こします。
俳句雑誌「ホトトギス」を創刊して、近代俳句の確立におおいに貢献しました。
一方、和歌でも「アララギ」を発刊し、短歌運動の一大源流となりました。
雅号の「子規」というのは、ホトトギスの別名で、結核という病に犯された自分を「血を吐くまで鳴く」と言われるホトトギスに例え、「子規」と名乗ったのです。
その名前でもわかるとおり、その活動がほとんど病床で行われたので、病弱な人のような印象を受けますが、若い頃はたいへん元気で活発な人で、野球が大好きだったらしく、学生の頃のポジションはキャッチャーだったとか・・・。
野球の歌もたくさん詠んでいます。
短歌史上、野球を歌に詠んだのはこの人が初めてではないでしょうか?
2002年には、その事が評価されて「野球殿堂入り」を果たしているそうです。
以前「サラダ記念日」が大ブームになった時、「こんな現代的な短歌があるんだ!」と感心しましたが、どうしてどうして、子規も、とても明治時代とは思えない現代的な歌を詠まれているので驚きました~。
♪久方の アメリカ人の はじめにし
ベースボールは 見れど飽かぬも♪
これは、初めて野球を見た時に詠んだ歌だそうで、ルールもわからないまま見ているにもかかわらず、一発で大好きになった様子がうかがえますね。
しかも、この歌の最初の部分の「久方の」は本来、空、月、光、天、雨などにかかる枕詞(まくらことば)です。
天、あるいは雨にひっかけて「アメリカ人の・・・」の枕詞にしてしまっているあたりは最高ですね。
♪九つの 人九つの 争いに
ベースボールの 今日も暮れけり♪
9人の選手が9回の表裏を戦って一日を過ごした・・・楽しげな雰囲気が伝わってきますね。
正岡子規は、明治三十五年の(1902年)9月19日、35歳という若さでこの世を去りました。
ホトトギスの名にふさわしく、最後まで歌い続けた明治を代表する文学者です。
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コメント
あと30年生きていれば今の高校野球(旧制中学野球)が見られ、甲子園球場の完成も見られましたね。
今日の野球はプロレベルで見れば人気低迷と言われます。でも高校野球や早慶戦で「満員札止め」があるので、アマレベルで見れば野球人気は健在です。作家の阿久悠さんは野球好きで、死去前年まで夏の全国大会の取材をしていたそうです。高校球児の手記を書いています。
作家・詩人・俳人と言う文学系の人は、昭和30年あたりまでは若くして亡くなる人が多く、「昔は作家は短命と言うジンクスがあった」とベテランの作家が言います。正岡子規の友人の夏目漱石も50歳前で死んでいます。今日では60代後半や70代でも現役第一線の人が多いです。
投稿: えびすこ | 2011年7月31日 (日) 08時37分
えびすこさん、こんばんは~
今の文壇界&政界では、かなりの年齢でも「若手」と言ってもらえます。
投稿: 茶々 | 2011年7月31日 (日) 11時56分