鞭声粛々・川中島の戦い
永禄四年(1561年)9月10日、武田信玄と上杉謙信の歴史に残る第四次・川中島の合戦~八幡原の戦いがありました。
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北信濃の犀(さい)川と千曲川の合流する場所が『川中島』・・・信玄と謙信は、この川中島で、計・5回戦っています。
その中で、例の名場面、本陣で床机に腰をかけた信玄に、颯爽と騎馬にまたがった謙信が斬りかかる・・・手に持った軍配で防ぐ信玄・・・戦国の合戦の中でも屈指の名シーンです。
あの一騎打ちのあったのが、この4回目の戦いで、一般的に『川中島の合戦』と言うと、この4回目の戦いの事を指します。
そもそもは、クーデターを起こして父を追いやった信玄が、甲斐・一国を手に入れた後、信濃のほうに手を広げ出したのが始まりでした。
まずは、塩尻峠の戦いで小笠原長時を破り(7月19日参照>>)、長時は葛尾城を本拠地とする村上義清を頼って落ちのびていきました。
葛尾城というのは、ちょうど甲斐と越後の中間あたりに位置する城です。
そして信玄は、次にその村上を攻めます(2月14日参照>>)。
葛尾城も落とされ、信濃を捨て、村上は謙信を頼って越後に逃げてきました。
「これ以上、信玄に進まれては大変だ」という思いと、「村上を保護する」意味とで、謙信は出陣します。
これが、1度目の川中島の戦い、天文二十二年(1553年)4月(更級八幡の戦い・4月22日参照>>)と8月(布施の戦い・9月1日参照>>)でした。
しかし、これは、あくまでお互いが「ただ者ではないぞ!」と、アピールした感じのデモンストレーションで終わりました。
2回目は、弘治元年(1555年)7月(犀川の戦い・7月19日参照>>)。
この時は、大きな戦いは無かったものの、200日間も小競り合いとにらみ合いを続けたけっこうマジな戦いでしたが、今川義元が間に入って講和が成立して、双方が軍を退きました。
3回目は、弘治三年(1557年)8月(上野原の戦い・8月29日参照>>)ですが、こう着状態の続く決定打の無い戦いで、決戦を避けた雰囲気さえあります。
そして、いよいよ永禄四年(1561年)9月10日の4回目の戦いです。
この時、信玄は『啄木鳥(きつつき)戦法』を計画していました。
それは、「上杉軍の陣取る山の後方にに部隊を送り込み、早朝に奇襲をかけ、あわてて山を降りる兵を、本陣が迎え撃つ」という作戦・・・。
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(このイラストは位置関係をわかりやすくするために趣味の範囲で製作した物で、必ずしも正確さを保証する物ではありません)
しかし、戦の前の食事の準備で、立ち昇った炊事の煙を見て、謙信は、逆にまもなく襲撃がある事を見破ってしまうのです。
上杉軍は、武田軍に気づかれないように、音をださずに静かに山をおり、夜のうちに千曲川を渡り、武田軍の本陣の前までやってきます。
頼山陽(らいさんよう)(9月23日参照>>)の詩で有名な【鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)、夜 河を渡る】です。
そして、夜が白々とあけてくる頃、信玄は驚きの光景を目にします。
本陣の目の前に、すっかり戦いの準備を整えた上杉の大軍がいたのです。【暁に見る千兵の大牙を擁するを】
そして、上杉軍が奇襲をする形で戦いは始まります。
今度は、謙信の『車がかりの戦法』・・・先に戦った部隊が退くと見せかけて、今度は別の部隊が攻めてくるという戦法です。
しかし、奇襲をかけられても、グラグラと総崩れにならないのが、武田軍のスゴイとこ!
そしてこの時、例の一騎打ち!
この一騎打ちは、信玄の横にいた兵士が、謙信の馬に槍を突き立てた事で、馬が謙信を乗せたまま走り去ってしまい、決着が着かなかったのです。
やがて、先程の夜のうちに山の後方に先に潜伏していた信玄の奇襲部隊が、本陣に合流することとなり、上杉軍が一気に不利になってしまい、謙信は兵を引き揚げました。
結局、双方ともに、一万前後の死傷者を出し、勝ち負けの決着のないまま、4回目の戦いは引き分けで、終わってしまいました。
しかし、引き分けではありましたが、信玄はこの戦いで、弟・信繁(2008年9月10日参照>>)と、名軍師・山本勘助を失ってしまい、ある意味、今後の武田家の明暗を分けた戦いになったと言えます。
そして、5回目の戦いは、永禄七年(1564年)8月(塩崎の対陣・8月3日参照>>)でしたが、この戦いは刃を交えることなく、お互い出陣はしたものの、にらみ合いだけで終わりました。
信玄と謙信が、川中島でぶつかり合ってる間に、政情は刻々と変わり、戦国武将の勢力図にも変化が見られ、合戦は鉄砲の時代へと移り変わります。
もう、『大将どうしの一騎打ち』なんてドラマチックな光景は、この戦いを最後に見れなくなってしまいました。
*2007年9月10日の記事【川中島の合戦は無かった?】へもどうぞ>>>
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コメント
はじめまして。川中島の戦いについて勉強になりました。学生時代、歴史は好きな方でしたが社会人になると遠ざかってしまい、かつ本を買って読むほど好きってわけでもないので、知識もどっかに飛んでしまってました。
これからも気になる歴史関係の話があったらお邪魔させてもらうかもしれませんのでよろしくm(__)m
投稿: 見習い大工 | 2006年9月10日 (日) 06時16分
見習い大工さん、はじめまして!
ご訪問、そしてコメントありがとうございます。
歴史好きのかたに、「勉強になりました」なんて言ってもらえると、とてもうれしいです。
また、時々覗きにいらしてください。
投稿: 茶々 | 2006年9月10日 (日) 11時24分
つい2,3日前に学研M文庫で武田信玄を読み終えたところでした。著者が大学(第一文学部)の後輩にあたり、一気に読みました。合戦(特に川中島)が詳細に描かれていました。信玄に関する著書はかたっぱしから
読むファンです。
投稿: テイケイ | 2006年9月10日 (日) 16時09分
はじめまして、テイケイさん。
戦国武将の中でも、武田信玄さんのファンのかたは多いですね。
人は石垣、人は城。
私は、ある意味、合戦の職人のようなところに魅力を感じるのですが・・・。
ご訪問とコメントありがとうございました。
また、覗きにいらしてくださいませ。
投稿: 茶々 | 2006年9月10日 (日) 17時47分
今夜の「名将の采配」(今月から地上波でレギュラー化しました)で川中島の戦いを取り上げます。「天と地と」で有名ですね。2014年で「終結450年」になるので、それを機にまた映画化してほしいです。この川中島の戦いの期間中(1553年~1564年)に生まれた有名武将が多いですね。
前にも書いたかもしれませんが、特急あさまの時代は車窓から川中島が見えました。長野新幹線では車窓からは見えなくなりました。ルートが別なので。
投稿: えびすこ | 2010年7月26日 (月) 09時36分
えびすこさん、こんにちは~
そうですか…そんな番組が…
要チェックですね。
教えていただいてありがとうございます。
投稿: 茶々 | 2010年7月26日 (月) 12時05分