明治に改元・一世一元を定む
明治元年(慶応四年・1868年)9月8日、元号を慶応から明治に改めるとともに、以後、一天皇は一元号とする事、つまり一世一元の制を定めました。
・・・・・・・・・
以前、『元号のおはなし』(6月19日参照>>)でも書きましたが、それまでは天皇が即位した時はもちろん、疫病が流行ったり、凶作だったり、何か不吉な事が起こると元号を改めていました。
それを、この時から現在のように、一人の天皇にひとつの元号で、亡くなったときにその元号の名前が諡(おくりな)として使用される・・・というふうになったのが明治のこの日から。
明治という名前になるにあたっては、いくつかの候補の中から、天皇がくじで引いて・・・えぇ?くじびきかい!・・・とお思いかも知れませんが、天皇がくじを引く=これは神託なのだそうです。
たしかに、くじというのは、ある意味、神のなせる業と言えなくもないですから。
ところで、もっと以前は天皇が亡くなって次の天皇に継承するのではなく、ある程度の年齢、あるいは政治的要因によって、天皇自体がけっこうすぐに交代していたし、その上、あの後醍醐天皇は8回も、崇徳天皇も在位中に6回改元していますから、そんなにころころ元号が変わって、昔の人は混乱しなかったのでしょうか?
江戸時代も、徳川家康が征夷大将軍になった1603年から60年間でこそ、慶長・元和・寛永・慶安の四つであるけれども、これも後期になって幕府の力が弱まるとけっこう頻繁に、改元が繰り返されます。
2年や3年で交代ばかりしていたら、「昭和生まれだ」「平成生まれだ」もあったもんやない!と心配していたら・・・
どうやら昔の人は、元号よりも、干支(えと)を使ってその年を表していたとの事・・・。
十干と十二支の組み合わせだと、同じ組み合わせの年がめぐってくるのは60年に一度・・・例の、還暦ってヤツです。
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の10個。
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12個ですね。
当時の寿命からいくと、60年はけっこう長く、生年や出来事のあった年を表すのに、何の不自由もなく混乱もありませんでした。
そう、甲・子の年に完成したから、甲子園球場なのだ・・・というのは、けっこう有名ですよね。
現在のように、元号が国民生活に、どっぷり根をおろすのは、やはりこの明治以降のようです。
.
「 幕末・維新」カテゴリの記事
- 坂本龍馬とお龍が鹿児島へ~二人のハネムーン♥(2024.02.29)
- 榎本艦隊の蝦夷攻略~土方歳三の松前城攻撃(2023.11.05)
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
- 維新に貢献した工学の父~山尾庸三と長州ファイブ(2022.12.22)
- 日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』(2020.11.11)
「 明治・大正・昭和」カテゴリの記事
- 日露戦争の最後の戦い~樺太の戦い(2024.07.31)
- 600以上の外国語を翻訳した知の巨人~西周と和製漢語(2023.01.31)
- 維新に貢献した工学の父~山尾庸三と長州ファイブ(2022.12.22)
- 大阪の町の発展とともに~心斎橋の移り変わり(2022.11.23)
- 日本資本主義の父で新一万円札の顔で大河の主役~渋沢栄一の『論語と算盤』(2020.11.11)
コメント