白紙に戻そう遣唐使
寛平六年(894年)9月30日、菅原道真の意見により、遣唐使の派遣をやめる事が決定されました。894年なので、ハ・ク・シって覚えましたね。
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学問の神様=天神様(6月26日参照>>)でおなじみの菅原道真さんは、代々学者さんの家柄で、ご本人も勉学に勤しみ、当時としては遅咲きではありましたが、33歳で文章(もんじょう)博士、42歳で讃岐(香川)の国司(県知事)、47歳にして、蔵人頭(くろうどのとう)という重職に任ぜられました。
時の天皇・宇多天皇が、たいそう道真の事を、お気に入りだったようで、道真が次の遣唐大使に任ぜられたこの時、遣唐使派遣の中止を提案し、その案が採用されたのです。
もはや唐に学ぶ事なし・・・という風にも言われますが、それよりも、道中の危険を考えたようです。
なんせ、朝鮮半島の政情によって、途中から大きくルートを変えた(4月2日参照>>)遣唐使船は、とにかく危険な海の難所=東シナ海を渡らねばならず、4隻同時に出発した遣唐使船が全部ちゃんと帰ってきた事がほとんどありませんでした。
現在の唐から得る物より、優秀な人材を亡くす事のリスクの方がはるかに大きいと判断したのでしょう。
中止の決定がされる前の9月14日、道真は天皇にこんな手紙を書いています。
『現在、唐に留学中の僧・中瓘(ちゅうかん)が去年商人に託した報告書によりますと、あれほど繁栄していて唐が今は衰えてきている事がよくわかります・・・・古来の記録を調べてみますと、度々の遣唐使の中には、うまく航海できなかったり、賊に襲われたりしてしまった者もおります。ただ、唐に着いてからは今のところ、大変な苦しみを味わった者がいないのは幸いですが、しかし、唐の状況が中瓘の知らせのとおりであるならば、今後はそれも保証できなくなるでしょう・・・・』
これを見た宇多天皇が、寛平六年(894年)9月30日に中止を決定したのです。
宇多天皇が、道真を重視したのは、あまりにも強大になったきた大臣・藤原時平の力を抑えようと、その能力のある良きライバルとして道真を抜擢したようですが、残念ながら、道真は、この7年後に失脚してしまいます。
宇多天皇の後に天皇に即位した醍醐天皇と藤原時平時代に、大宰府に左遷されてしまうのは、皆さまご存じの通り・・・と言っても、なにやら、道真にも打算があったようですが・・・(1月25日参照>>)。
PS:最近では、「遣唐使廃止の正式な決定はなかった?」という新しい説も登場しています・・・9月14日【保身か?英断か?菅原道真の遣唐使・廃止】をどうぞ>>
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