女歌舞伎の禁止令
寛永六年(1629年)10月23日、江戸幕府が風紀を乱すとして、女歌舞伎・女舞・女浄瑠璃を禁止しました。
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徳川家康が征夷大将軍になった(慶長八年・1603年)頃、京の都を中心に活動するスーパースターが登場します。
彼女は、もともと出雲大社の巫女で、神前で神楽舞など舞っていた人だったのですが、ある時、勧進のため京の都に興行にやってきたのです。
勧進というのは、神社の運営資金を作るための興行・・・つまり、舞を舞って寄付金を集める地方周りです。
彼女にとって当時の京は、様々な物が流通し、様々な人が行き交い、自分の生まれ育った出雲とは、まったく違ったきらびやかな都に映った事でしょう。
その京で、能や小舞などを見て「あんなんで、あんなにウケるんなら、私はもっとスゴイのやってやる!」と、一大決心をして神楽一座を脱退し、新しい団体を立ち上げます。
阿国自らが企画・製作・主演をこなし、ちゃんとしたストーリーに、歌あり、踊りありのエンターテーメントショー・阿国歌舞伎の誕生です。
ただでさえ楽しいのに、そこに今まで男が演じていた物を女が演じる・・・つまり、今のタカラヅカのような男役の女性もいて、胸元をはだけながら魅惑な雰囲気をかもし出す・・・。
ウケないわけがありません。
阿国歌舞伎はまたたく間に評判となり、やがて江戸に進出!
慶長十二年(1607年)2月20日には、江戸城に招かれて本丸にて勧進歌舞伎の上演までしています・・・現在2月20日は『歌舞伎の日』という記念日になってます。
勧進歌舞伎から女歌舞伎の名称に変るのは慶弔十九年(1614年)頃、女浄瑠璃もこの頃から盛んに行われるようになってきます。
しかし、その頃を頂点に、女歌舞伎はだんだんと墜落の道をたどって行くのです。
それは、やはり有名税・・・とでも言いましょうか、各地に阿国を名乗る者が登場するのです。
その頃は写真もありませんからね~。
本物かどうか見分けがつかないんでしょう。
そして、阿国歌舞伎と称して中途半端な芸を見せ、客の酒宴の席に登場して酒の相手をしたり、求めに応じて肉体を提供する、といった事が当然のように行われるようになるのです。
元号が元和から寛永に変ろうとする頃(1623年頃)になると、女役者の売春行為はもうあたりまえ、中には舞台で実演する者まで現われます。
裸の美少女の玉乗りや綱渡り、なんていうのもあったらしい・・・。
そんなこんなで、幕府はエスカレートしっぱなしの興行小屋を一斉摘発!
寛永六年(1629年)10月23日、全面禁止にしました。
なんかそんな光景、最近『警察24時』的な番組で見たような・・・いつの世もかわらないなぁ
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コメント
出雲阿国の時代の「女歌舞伎」の演目は、現在の「男歌舞伎」にアレンジされていますか?文中の風紀を乱すと言うのは、「ストリップ劇場状態」と変貌したためでしょうね。江戸時代初期には現在のジャニーズJr.の舞台のような、「少年歌舞伎」もありましたが、これも風紀を乱すとみなされてます。
NHKは「若い女性が主人公」の時代劇が多いですね。これにあやかり「若い女性が主人公」の作品を、民放局も製作してみるといいですね。時代小説から探せばネタと配役に困らないです。最近はテレビ作品が少ない分、映画で数を挽回しています。映画よりテレビの方が時間と予算がかかるのでしょうかね?今週の「アンアン」の特集は時代劇です。
投稿: えびすこ | 2010年9月17日 (金) 09時31分
えびすこさん、こんばんは~
結局、若衆歌舞伎も禁止になってますよね。
やっぱ、こういうのは、どんどんエスカレートしていくんでしょうね。
投稿: 茶々 | 2010年9月17日 (金) 21時46分