安政の大地震でなまず絵が売れる
安政二年(1855年)10月2日、午後10時頃、開国して間もない江戸の町を、マグニチュード6.9の直下型地震が襲いました。
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震源地は、北緯35.8度、東経139.8度、亀戸から市川16キロ四方で、被害は半径20キロに及んだそうです。
1万4千戸の家屋が倒壊し、死者は4~5000人、翌朝の明け方まで三十数回余震が続いたと言います。
江戸中心部の被害は大きく、江戸城もかなり破壊され、続いて起こった火事のために江戸市街の大半が焼失しました。
しかも、先ほどの倒壊家屋は、あくまで町屋の数で、武家屋敷は含まれていないらしく、実際の被害はもっと大きかったと思われます。
日本橋の茅場(かやば)町に住んでいた佐久間長敬(おさひろ)という人は、
「ちょうど、布団に入ったところで、寝巻きのまま布団ごと3尺余り以上も持ち上げられた。
戸も障子も襖もガラガラとはずれ、壁は落ちてくる・・・」
と、日記に書いています。
また、水戸藩士で儒者として有名な藤田東湖(とうこ)は、小石川後楽園の水戸藩邸で、母親を抱きかかえ、庭に放り投げて助けた後、自分も逃げようとしましたが一瞬遅く、落ちてきた建物の梁の下敷きとなって亡くなっています(2009年10月2日参照>>)。
日本には、古くから地震は地中にいる大なまずが暴れて起こる物で、そのなまずを鹿島神社(茨城県)の要石(かなめいし)で押さえつけようとする信仰がありました。
この時も、「地震の前になまずが騒いだ」という記録も残っていて、なまずを主人公にした瓦版や錦絵・絵図などが売り出され、地震のお守りとして「なまず絵」が、大いに売れたそうです。
また、江戸の被害の状況も瓦版で全国に伝えられました。
『災害は、忘れた頃にやってくる』
いつの時代も心がけておきたいものです。
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コメント
昔の地震の詳細が分かるってことは当時の出来事を書いていた人たちがいたんですね。
そして、大なまずの話。なまずが動く?と地震が来ると聞いた事があります。そこから来てるんですね。
気をつけようがないかもしれませんが、いつ起きてもおかしくないとず~っと言われている東海地震に気をつけないと(>_<)
投稿: 見習い大工 | 2006年10月 3日 (火) 00時05分
見習い大工さん、おはようございます。
死者や倒壊家屋の数などは、町奉行所の記録に残っているそうです。
・・・なので、逆に武家屋敷の被害状況がよくわからないみたいですよ。
東海地方に限らず、日本全土が完全にプレートの上にありますから心配ですね。
天災は防ぎようがない気もしますが、被害を最低限にする事は可能でしょうから、日頃から対策をしとかないと・・・と、私も思っています。
投稿: 茶々 | 2006年10月 3日 (火) 09時26分
3月の地震後に良く売れたのは防災用品は言うに及ばず、「携帯用ランプ」も売れています。
「宗教の勧誘が増えた」と言う指摘があります。でも寺院や神社では祈祷や例祭をやったと思います。
投稿: えびすこ | 2011年9月27日 (火) 08時47分
えびすこさん、こんばんは~
地震を予知するかも知れないナマズは、幕末の人たちにとっては、「緊急地震速報」だったんでしょうね。
投稿: 茶々 | 2011年9月27日 (火) 19時16分
安政大地震は私の住む地域までが震源なんですね。江戸は150年前の時点でさえ埋め立て地が多いので、被害が大きかったんでしょうね。
昨日気づきましたが、新島八重さんは安政大地震と関東大震災の2つを知る人なんですね。2つの大地震の時に江戸・東京にはいなかったと思いますが。
投稿: えびすこ | 2011年9月28日 (水) 08時46分
えびすこさん、こんにちは~
もう、気持ちは新島八重さんに…
ニューヒロインに期待したいですね。
投稿: 茶々 | 2011年9月28日 (水) 17時33分