真田幸村、九度山を脱出!
慶長十九年(1614年)10月9日、関ヶ原の合戦の後、九度山に追放されていた真田幸村が九度山を脱出し、大坂城へ向かいました。
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慶長五年(1600年)の関ヶ原の合戦が終わった後でも、まだ表面的には、徳川家康は豊臣秀頼を主君とする家老という立場でした。
しかし、慶長八年(1603年)には、家康が征夷大将軍に(2月12日参照>>)・・・さらに、その2年後には、その将軍職を息子・秀忠に譲り(4月16日参照>>)・・・と、徐々に、その力関係にゆがみが生じて来ます。
・・・と、このあたり、以前のページ(5月10日参照>>)でも書かせていただいていますが、個人的には、後の徳川政権によって、かなり歴史が書き換えられていると睨んでおりますが、いずれにしても、両者が微妙な関係にあった事は確か・・・
おそらくは、家康は自らの年齢を踏まえて、自分の目の黒いうちに豊臣を潰してしまわなければ・・・という思いにかられた事でしょうね。
かくして慶長十九年(1614年)7月・・・秀頼が、亡き父・豊臣秀吉の悲願だった方広寺の大仏建立(7月26日参照>>)をやっとこさ実現しようとした時、その方広寺の鐘に書かれている銘文に、家康はイチャモンをつけます。
鐘に書かれていた文字の中に「国家安康」「君臣豊楽」というのがあるのを見つけ、「これは、家康を二分して豊臣の繁栄を願う」という意味、つまり家康を呪う言葉であるという言いがかりをつけて来たのです(7月21日参照>>)。
慌てて弁明の使者を派遣する豊臣側ですが、家康が出した条件は
① 秀頼が江戸へ参勤する
② 母・淀殿が人質として江戸に入る
③ 秀頼が大坂城を出て、家康の指示する領国へ国替えする
の3つ・・・(8月20日参照>>)
どれも、とても実現できないような条件を出して、ケンカ売る気満々の家康・・・
かくして、追い詰められた大坂方は、思い当たる所に使者を出し、大坂城への参集を呼びかけたのです。
この大坂城の動きを見てとった家康は、いよいよ大坂討伐を決意・・・この10月1日に、諸大名に出陣の命令を下します。
これが大坂冬の陣・・・。
一方、秀頼の出した出陣要請は、高野山々麓の九度山にいる真田幸村(信繁)のもとにも届きました。
幸村は、父・真田昌幸ととも、先の関ヶ原の合戦の時、西軍・石田三成に味方して、上田城にて徳川秀忠軍本隊をくい止め(201年9月7日参照>>)、関ヶ原に間に合わなかった(2011年9月7日参照>>)・・・という事態を引き起こしていて、合戦後に九度山に追放され、浪人として暮らしていたのでした。
もちろん、徳川方もこういう時には、真っ先に幸村に声をかけるであろう事を予測していたので、はなから近在の役人たちに、幸村が九度山から出ないように見はらせていたのです。
そこで、慶長十九年(1614年)10月9日・・・幸村は「身内に祝い事があるから・・・」と言って、近在の村人や村役人を大勢集めて、飲めや歌えの大騒ぎ。
さんざん酔わせておいて、警戒をかいくぐって突破し、大坂城に馳せ参じたのです。
『村中を 酔わせて真田 すっと抜け』
すっと抜けた後の続きのお話は明日、10月10日真田幸村・必勝作戦>>でどうぞ
「大坂の陣」関連のイロイロについては、左サイドバーの【大坂の陣の年表>>】からまとめてどうぞ!
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コメント
茶々さん、こちらへもコメントしたいですね~!
真田幸村~~~私の好きな武将です!
大阪の陣での活躍はご存知のとおりですね~
私も彼のその義に生きた壮絶な生涯を記事に・・・と思っていましたが、イラストの関係で、なかなか肖像の資料が見つかりません(汗)。
なので、想像で描いちゃってもいいんでしょうか(笑)?
投稿: ルーシー | 2006年10月 9日 (月) 15時48分
ルーシーさん、こちらにもコメントありがとうございます~。
私も、幸村さん大好きです!
いよいよ『冬の陣』が始まったので、これからちょこちょこその日の逸話など登場させたい、と思ってるんですが・・・。
そうですね、私も幸村さんの肖像画、まだ見た事ないです。
真田幸村と楠木正成は、史実よりも講談やお芝居でその人気に火がついた2大スターですからね。
HPの歴史散歩で訪れた上町台地の真田山公園に銅像が立ってましたが、アレも想像ではないかと・・・。
ちなみに銅像は今、大河で家康やってる西田敏行さんに似てます(笑)
あと、シュミレーションゲームの世界では、真田幸村は明智光秀とともにかなりイケメンに描かれていますよね。
(真田はともかく、明智はなぜイケメンなのか?)
ちゃんとした肖像画がないと、絵にするのは難しいですね~。
でも、記事は楽しみにしていますよ!
投稿: 茶々 | 2006年10月 9日 (月) 17時15分
来年の大河ドラマで真田幸村を誰が演じるかも隠れた焦点ですね。大阪の陣は「生涯最後の晴れ舞台」なので、存在感のある俳優を当てるでしょうね。
「天地人」を見てわかったんですが、「童顔の俳優は時代劇には向かない」ような感じですね。特にNHK大河ドラマは時間が経過するので。
投稿: えびすこ | 2010年9月18日 (土) 20時16分
えびすこさん、こんばんは~
昨年のような、ヘンな活躍にならないよう祈りたいです。
投稿: 茶々 | 2010年9月18日 (土) 20時45分
そうですね。天地人は「豊臣サイド」の視点で脚色をしたからでしょうね。これは「関が原の戦いの西軍陣営の人物が、主人公となるの初めて」と言う、触れ込みも原因ですね。
人物配置が「上杉メインの話でありながら上方寄り」と言うことで、新潟県からかなり不満があったとか。「上杉家の人質だった」と言う過去を知らなかった人もいます。
考えてみると今の30代前半以下の俳優は、男女関係なく過半数が童顔ではないかと思います。この10年間の大河ドラマで、主演当時20代の人を思うと実感わきます。
投稿: えびすこ | 2010年9月19日 (日) 14時46分
えびすこさん、こんにちは~
童顔というか、今流行りのイケメン君の顔がそういう感じなんでしょうね。
個性的な人は演技を磨いて30代後半から、主役のワキを固めるように、やっと出てきますもんね。
その代わり20代のイケメン君が30代後半になる頃には去っていきますが…
イケメン君でも演技を磨いた人は生き残れますが…。
女優もいっしょですね。
投稿: 茶々 | 2010年9月19日 (日) 15時14分