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2006年10月 4日 (水)

薬師寺、伽藍完成

 

文武天皇二年(698年)10月4日、薬師寺の伽藍が完成しました。

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Dscn2157a 680年に第40代・天武天皇が、皇后(のちの持統天皇)の病気全快を願って薬師寺建立を発願。

天武天皇が亡くなった後、皇后の第41代・持統天皇がその遺志を継いで、697年に本尊を開眼、そして天武・持統帝の孫である第42代・文武天皇の時代に建物が完成しました。

持統天皇は、どのような思いで、この薬師寺の完成を見たのでしょうか・・・。

父・天智天皇の亡き後、夫・大海人皇子(おおあまのみこ=後の天武天皇)と、天智天皇の息子・大友皇子(おおとものみこ=弘文天皇)との後継者争いで始まった壬申の乱(10月19日参照>>)

その乱に勝利して(7月22日参照>>)夫は、天武天皇として即位(2月25日参照>>)しますが、今度はその天武天皇亡き後の後継者争いで、自分の息子・草壁皇子(くさかべのみこ)のためにライバル・大津皇子(おおつのみこ)を消し去った10月3日参照>>)ものの、息子は病死・・・

かわいい孫に皇位を譲るため、孫が大きくなるまで、彼女は、自らが即位して持統天皇になりました。

そして、やっと孫が文武天皇として即位して、夫の願いであった薬師寺が完成したこの時、偉大な母は人生をふりかえって物思いにふけったにちがいありません。

なぜなら、この薬師寺にある『聖観音菩薩像』(現在も東院堂に安置されています)

その姿はたいへんすがすがしく、初々しく、年若き青年の姿をしているのですが、この像のモデルがあの大津皇子だと言われています。

もし、本当にこの像が大津皇子の姿で、持統天皇の発願で造られた物だとしたら、冷酷なまでの政治を行った女帝とは別の、隠された女としての母としての一面が、この像の美しさに秘められている気がするのです(12月22日参照>>)

そして薬師寺は、その後、平城京に都が遷る時(710年)、同時に飛鳥の地から現在の西の京に移されました。

現在は、大仏さんのある東大寺を中心に見てしまうので、この薬師寺のある西の京は、奈良の郊外にあるように思ってしまいますが、平城京の時代は、平城宮を中心に東に東大寺、西に西大寺が位置し、南は大和郡山のあたりまでありましたから、当時このあたりは、大都会の真ん中といった所でしょう。

Dscn2182_1奈良のお寺めぐりをしていると、「あぁ、ここは変らないなぁ~」と、懐かしい風景に感動する事がしばしばありますが、この薬師寺は久しぶりに訪れると、その変貌ぶりには、驚いてしまします。(もちろん、悪い意味ではありません) 

私が最初に薬師寺を訪れた時には、建物は東塔講堂だけだったと思います。

西塔は礎石のみが残っていて、その礎石の穴に水がたまって、東塔の法輪がその水面に写る風景に感動を覚えたものでした。

Dscn0001 それから金堂が建ち、西塔も復元されて、最近訪れたときは玄奘三蔵院伽藍という、ものすごく美しい建物が建っていて、またまた新たな感動をしてしまいました。
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コメント

読んでて20年以上前に修学旅行で行ったときと、かなり雰囲気違うのかなって思いました。たた記憶自体薄れてる。やはりワンパターンですが「行く秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲」

投稿: touyou | 2006年10月 5日 (木) 21時59分

touyouさん、こんばんは。

そうですね、20年前だと、ちょうど西塔が復元された頃でしょうか・・・。

玄奘三蔵院はもっと最近だと思います。
30年の歳月を費やした平山郁夫画伯の壁画もすばらしかったですよ。

また、機会があったらいらしてください。

コメントありがとうございました~。

投稿: 茶々 | 2006年10月 5日 (木) 23時18分

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