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2006年10月12日 (木)

夢は枯野を駆け巡る・芭蕉忌日

 

元禄七年(1694年)10月12日、江戸前期の俳人・松尾芭蕉が亡くなりました

・・・・・・・・・・

松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野の城下、赤坂町で手習師匠をしていた松尾与左衛門の次男として生まれました。

通称を甚七郎と言い、芭蕉というのは、庭に植えた芭蕉の木にちなんで用いるようになった俳句を詠むうえでの号です。

子供のうちから津藩・藤堂家の若君の側に仕えていましたが、その若君が亡くなった後、脱藩し寛文十二年(1672年)には江戸に出て俳句作りに励みます。

最初は、若者らしくお笑い系の俳句を作っていましたが、なかなか売れず、水道工事などハードな肉体系のバイトをしながら食いつないでいる状態でした。

37歳頃までは、バイトを続けていたという事なので、俳句という文系のイメージとはほど遠い、けっこう色黒のマッチョな人だったんでしょうね。

やがて年齢とともに、「わび」「さび」といった独自の境地に達するようになり、『虚栗(みなぐり)』『冬の日』『春の日』などの俳句集を出す頃には、しだいに人気も高まり、やっとバイトをやめて俳句で食って行けるようになるのです。

有名な♪古池や 蛙飛び込む 水の音♪は、『春の日』という俳句集に収録されています。

Matuobasyou500ast そして、46歳の時、弟子の曾良(そら)を連れて『奥の細道』の旅に出るのです。

『奥の細道』は、旅に死んだ先人の史跡を巡って、尊敬する歌人・西行が歌を詠んだ場所に立って自分も俳句をひねる・・・という旅の記録物ですが、同行した曾良の『曾良旅日記』と比べると旅の日程や天候がずいぶんと違っています。

おそらくは、旅の記録としての正確さは『曾良旅日記』のほうが正確で、『奥の細道』のほうは、どちらかと言えば俳句の造りあげる世界を重視した少しフィクションもちりばめた作りになっているようです。

衣川で戦死した源義経を偲んで♪夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡♪のように、その場の情景だけでなく歴史の事も入れつつ、また、同じ宿になった新潟の遊女の♪一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月♪といった色っぽいのも入れつつ・・・。

それにしても、『奥の細道』2400キロの大旅行、一日平均12里(48km)というのはスゴイ!
やはり、若い頃の肉体労働のたまものなのかしら?

あまりの健脚ぶりと、伊賀上野の出身そして母親が忍者で知られる百地一族の出であることから芭蕉=忍者説というのも有名です。

まぁ、諸国を見てまわって、その様子を報告するだけでも隠密としては成り立ってますし、俳句という隠れ蓑があれば、けっこういろんな所に行っても怪しまれませんからね。

そうやって、旅から旅への生活をしていた芭蕉でしたが、元禄七年(1694年)の5月、江戸から長崎への旅の途中、病気にかかってしまい、元禄七年(1694年)10月12日、大阪の宿でその生涯を閉じました。

♪旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる♪

もう、だめ死ぬ~と思って詠んだこの句。

ただ、そのあと、ちょっとだけ元気になって♪清滝や 波に散り込む 青松葉♪という京都の嵯峨野を詠んだ句を最後に亡くなったという事です。

『奥の細道』は彼の死後、8年経った元禄十五年(1704年)に刊行されています。

●2013年10月12日の記事【松尾芭蕉…最後の旅】もどうぞ>>
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江戸時代」カテゴリの記事

コメント

今日が芭蕉の命日と教えていただきました。芭蕉は日本が生んだ最高の詩人だと思います。良く知られている辞世の句の後に京都の嵯峨野を詠んだ句があると初めて知りました。8年ほど前になるか京都に住んでいたこともあり懐かしいです。伊賀上野を訪ねたこともあります。御記事を楽しく読ませて戴いております。感謝です!

投稿: 植松樹美 | 2010年10月12日 (火) 18時44分

茶々さん、こんばんは!
今日は芭蕉、死んでしまったんですか…。
芭蕉は色黒のマッチョだったのかもしれないんですか?イメージ大分変わりました(笑)
まーでも、曾良とはいけない関係だったっていう噂もありますよね…あまり考えたくはないですが。曾良もマッチョなんでしょうか?
元禄文化ときたらまっさきに思い浮かぶ方ですよね芭蕉は。奥の細道は最初の一文は暗記させられました。「月日は百代の過客にして行きこう年もまた旅人なり」でしたっけ?
芭蕉さんの作品はこれからも教科書に載り続けるでしょうね。名文ですから。
でも、文武両道で忍者だったらかっこいいですね芭蕉さんは!頭もいいし!
長々とすみませんでした。

投稿: 暗離音渡 | 2010年10月12日 (火) 23時06分

植松樹美さん、
元気の出るお言葉…ありがとうございますm(_ _)m

いつでも、遊びに来てくださいませ。

投稿: 茶々 | 2010年10月13日 (水) 00時50分

暗離音渡さん、こんばんは~

>曾良もマッチョなんでしょうか?

思わず、マッチョ同士のイケナイ関係の場面を想像してしまいました((w´ω`w))

>これからも教科書に載り続ける

そうですよね~
当時の俳句は、芸術というよりは、今で言うヒットソングのような物だったのかも知れませんが、今のJ-POPの中でも、芭蕉さんの俳句のように良い物は残っていくんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2010年10月13日 (水) 00時55分

有り難うございます。芭蕉の生き方を参考にして、エッセーを書いてみたいと思います。

投稿: ありさん | 2011年6月11日 (土) 12時06分

ありさんさん、こんにちは~

少しでも参考になったのでしたら、うれしいです。

投稿: 茶々 | 2011年6月11日 (土) 14時22分

今晩は。

夢は枯れ野を駆け巡る
で検索をして、到達しました。

私は、ブログ夢想花という日記を発信しています。

あなた様のブログを、私のブログ「お気に入り」に入れさせて頂いて、歴史を勉強したいと思います。
よろしく、ご承知をお願いします<(_ _)>。

投稿: 夢想花(別名 中途半端詩人) | 2014年1月 5日 (日) 01時17分

夢想花(別名 中途半端詩人)さん、こんばんは~

また、ちょくちょく遊びに来てくださいませ。

投稿: 茶々 | 2014年1月 5日 (日) 10時08分

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