征韓論で西郷隆盛、辞職
明治六年(1873年)10月24日、明治政府内で巻き起こっていた征韓論の論争で、西郷隆盛が参議を辞職しました・・・、明治六年の政変です。
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元号も明治になり、首都の名前も江戸から東京に改まりました。
徳川幕府の支配に嫌気がさしていた人々は、維新に大いに期待します。
新しい思想、新しい学問も起こり、町と町は鉄道でつながり、人々の生活は大きく変りました。
しかし、良い事ばかりではありません。
いえ、むしろ明治新政府の行く手は問題山積みです。
最初、今までの半分にすると約束していた年貢の徴収は、逆に以前の倍になってしまいましたし、一部の人たちの華やかで贅沢な生活に比べて、庶民の暮らしは以前と変わらない・・・むしろ、悪くなっていました。
そんな中で一番の問題は士族という呼び名に変った武士でした。
版籍奉還(はんせきほうかん)(6月17日参照>>)・廃藩置県(はいはんちけん)(7月14日参照>>)で藩はなくなり、藩主こそ知事という役に着くことができましたが、一般の武士たちは、士族という名前があるだけで、実質的には他の一般人と何ら変りありません。
今まで、国家を護る戦いのプロとして特権階級だった武士ですが、徴兵令が出され一般人も軍隊に入る事になりますから、その存在は意味がありません。
それまで、藩が支払っていた禄(ろく・武士の給与)を、明治政府が代わって支払う事になっていましたが、そんなもんすぐに財政は行き詰ってしまいます。
西郷さんは、とにかく士族が大好き。
士族の事を思い、「なんとか彼らの救済策を打ち出さなければ反乱が起きてしまう」、と考えていました。
そんな時、明治政府に新たな問題が浮上します。
隣国・朝鮮との外交問題でした。
当時、清国の属国であった朝鮮に、日本が送った徳川から天皇に政権が移った事を知らせる国書の中に、朝鮮より上位の国である清国しか使ってはいけない「皇」と「勅」の文字があった事から国書を受け取らない・・・という事態になってしまいました。
加えて、もともと、朝鮮とは徳川幕府の鎖国時代でも国交が続いていましたが、あのペリーの黒船以来、日本は欧米諸国の圧力に屈した形で、通商条約を結んで開国してしまい、日本と同じように鎖国をしていた朝鮮は、「勝手に開国してしまった日本とは付き合えましぇ~ん」と、国交断絶を通告して来たのでした。
こじれた関係を何とかしようと、外務省の官僚が釜山に出向いたりもしましたが、いっこうにらちがあきませんでした。
「これは、まさに国家への侮辱だ!」と怒った太政大臣・三条実美(さねとみ)が、「陸軍・海軍を朝鮮に送り込んで、朝鮮にいる日本人を保護しよう」と言い出します。
この三条の考えが『征韓論』です。
たとえ、保護の名目であっても、今この時点で軍隊を出せば、戦争になってしまうのは明らかでした。
西郷は反対します。
そして、軍隊を出す前に、まず自分が使節として朝鮮を訪問する・・・という策を提案します。
この意見に板垣退助、後藤象二郎、大隈重信ら多くの者が賛同しました。
ただ、この時、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文といった政府の中心人物がヨーロッパ視察に行っていて、彼らが留守の間に、勝手に国家の大事を決断するわけにもいかず、西郷の意見は一旦保留される事になります。
ところが、ヨーロッパから帰ってきた四人は、西郷の意見に猛反対。
しかも、ここに来て最初賛成していた大隈も反対側に寝返ったりして、結局、閣議は反対派に押し切られてしまいます。
西郷はあくまで話し合いの訪問のつもりでしたが、反対派は西郷が行けば必ず戦争になる・・・と思って反対したようです。
ただし、一方では、はなから大久保や岩倉が西郷を政界から排除するために、征韓論を口実に使っただけだったという説もありますが・・・。
とにかくこうして、明治六年(1873年)10月24日、西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣らが、一斉に辞職しました。
その後、板垣と後藤は愛国公党を結成し、それはやがて自由民権運動(10月18日参照>>)へと発展していきます。
一方の西郷は、鹿児島に戻って学校を開きました。
しかし、ここで、西郷が政界から離脱した事に非常にショックを受けた人たちがいるのです。
そう、最初に書いた士族たちです。
彼らは、士族びいきの西郷が政府の中心にいる事によって、「今は苦しいが、これから先、なんとかしてくれるだろう」という希望を持っていたのです。
その希望が、一気に崩れてしまいました。
そして、不満を爆発させた士族たちは、各地で反乱を起こします。
●佐賀の乱>>
●神風連の乱>>
●秋月の乱>>
●萩の乱>>
●思案橋事件>>
それは、やがて西郷も巻き込まれる事になる士族最大の反乱・西南戦争(2月15日参照>>)へとつながって行くのです。
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