非常の人・平賀源内、殺人で逮捕
安永八年(1779年)11月21日、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチと言われるマルチな天才・平賀源内が殺人犯として逮捕されました。
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平賀源内は、享保十三年(1728年)、高松藩士の子供として生まれます。
22歳で父の後を継いで高松藩の蔵番職になり、翌年に長崎に留学しますが、この長崎で外国の様々な文化に触れ、源内は学問に目覚めるのです。
高松に帰ってから、さっそく、歩いた距離を測る量程器、方角を測る磁針器などを製作し、これが、新し物好きの藩主・松平頼恭(よりたか)の目にとまり、藩の特産品の開発を担当します。
この時、高松藩の名産となる白砂糖を開発しています。
32歳の時に自由な研究に没頭するため、妹婿に家督を譲り江戸に出てきますが、この江戸で彼を一躍有名にしたのは、5回に渡って開いた薬品会の成功でした。
薬品会というのは、全国の珍しい物を集めた展示会で、今で言う博覧会・物産展のような物で、マルチな知識を持つ源内が企画して集めた品々が、どれもこれも人々を驚かせる物ばかりだったのでしょう。
薬品会の成功を知った高松藩は、彼を呼び戻し再び召抱えますが、藩のお抱えでは自由な研究ができず、34歳にして再び脱藩します。
しかし、今度は高松藩から「仕官お構(おかまい)」という命令付きでした。
これは、「他家へ仕官してはいけない」というもので、コレのおかげで源内はお金を稼ぐために、あらゆる物に手を出していきます。
彼が考えた『清水餅』のコピーは、とにかく餅をほめる軽妙な語り口に言葉遊びが入って、まさにラップのようです。
少し長いので、割愛してご紹介しますと・・・、
『そも我が朝のならわしにて、めでたき事に、餅鏡
子もち、金もち、屋敷もち、・・・・
家持(やかもち)歌に名高く、惟茂(これもち)武勇かくれなし・・
器物もさっぱり清水餅、味はもちろん良い良いと・・・
ワタシ身代もちなおし、よろしき気持ち心もち、
婦(かか)もやきもち打ち忘れ、尻もちついてうれしがる・・・』
これがあまりに評判だったので、次に、逆に餅を徹底的にけなすという手法の2番めのコピーも作っています。
真夏に脂っこいうなぎが売れなくて、うなぎ屋の主人から頼まれて『土用の丑の日は、うなぎを食べよう』キャンペーンを考えたのは、けっこう有名ですよね。
ただし、この土用のうなぎは、源内さんの100%オリジナルではなくて、『万葉集』の編さんでお馴染みの、奈良時代の歌人・大伴家持(おおとものやかもち)の歌からのアイデア引用である可能性が高いですね(7月30日参照>>)。
お金を稼ぐには好都合の戯曲や浄瑠璃の台本も書いています。
これもけっこう人気が高く、長く上演されたとか・・・。
有名なところでは『神霊・矢口渡』・・・
南北朝時代の新田義興を主人公にした浄瑠璃なのですが、物語のクライマックスで、天から正義の矢が降って来て主人公の危機一髪を助ける・・・しかも、この物語の舞台である新田神社では、実際に、その正義の矢がお土産として売られ、大評判になったそうです。(10月23日参照>>)
そう、今でいうところの、大ヒット映画やアニメとのコラボ商品です。
もちろん、アイデアは源内さん自身・・・しかも、これが、あの神社でいただく、破魔矢(はまや)の始まりなんだとか・・・もう、頭がさがります~
やがて、36歳の時には、秩父で石綿を発見し、燃えない布・火浣布(ひかんぷ)を作ったり、陶土を発見して焼き物を作ったりもしてます。
しかし、一方では、大名や富豪から莫大な資金を提供してもらった金山の採掘に失敗して借金を抱えたりもします。
そんなこんなの47歳の時、翻訳の仕事で訪れた長崎で、有名なエレキテルに出会うのです。
それはオランダから輸入された小さな箱でしたが、何に使うのか誰もわからず、しかも壊れているようなので、倉の隅に捨てられていたのです。
その箱を、静電気の知識もない、オランダ語も読めない源内が修理・復元したのです。
人々は小さな箱から発生する電気が火花を散らすのを見て、「魔法だ!魔法だ!」と大騒ぎです。
また、温度計を一目見るなりその原理を見抜き、寒熱昇降器なる温度計も作り、それで設けたお金を借金の返済にあてたりもしています。
どうやら、彼は成功と失敗の差が激しいようですね。
しかも、本人の心の内とはうらはらに、自分が気に入った物は評価されず、そうでもない物がバカ売れする・・・。
そんな現象に、彼は徐々に悩まされていく事になったのではないでしょうか。
世の中からは変人扱いされ、いつしか、源内は心を病んでしまっていました。
事件が起こる安永八年の頃の源内は、最初の持ち主が切腹し、次の入居者の父親が追放されその子供が井戸で死んだ・・・といういわく付きの家に住み、意味不明の放尿シーンの絵を大事そうに持っていたと言います。
そんな彼に仕事が舞い込んできます。
ある大名(田沼意次だという噂もあります)のお屋敷の修理の見積もりを頼まれます。
それは、すでに別の者が請け負っていたのですが、念のために源内にも見積もりを頼んだものでした。
源内は、その者よりも2~3割安い見積もりをはじき出しました。
当然、言い争いになりますが、とりあえず「共同でやってくれ」という事になり、その者との仲直りの酒宴を源内の家で行ったのです。
そのお酒の席で、源内は自分の考えた修理の計画書をその者に見せ、説明すると相手も納得して、お互い酔いにまかせてその場で眠ってしまいました。
ふと、源内が目を覚ますと、その計画書がありません。
となりに寝ていたその者を起こして聞いてみますが「知らない」と言います。
てっきり、そいつが盗んだと思った源内は突然相手に斬りつけました。
相手はあわてて逃げ帰りますが、その傷がもとで死んでしまったのです。
実は、後で探してみると、計画書は自分の手元の箱にちゃんとしまってあったんです。
酔って記憶があいまいだったとは言え、勘違いで人を殺してしまった源内・・・
安永八年(1779年)11月21日、殺人犯として逮捕された後、小伝馬町へと投獄されますが、それから約1カ月後の12月18日・・・刑が確定しないまま、死亡してしまいました。
破傷風だったとも、自殺だったとも言われています。
有名人の源内が殺人を犯し、牢獄で死亡・・・しばらくの間、江戸ではこの話で持ちきりだったとか・・・。
田沼意次が事件の黒幕だという小説が出たり、牢を抜け出し蝦夷に渡ってアイヌの英雄になったという噂がでたりもしましたが、親友の杉田玄白が、彼の碑にこう刻んでいます。
『ああ非常の人、非常の事を好み、行うもこれ非常、なんぞ非常の死なる』
この文章を見る限り、やはりこの時代には早すぎた天才だったのだろうと思いますね。
江戸という時代も、やっと後半に入ったばかり、まだ、彼の才能を充分発揮できる時代ではなかったようです。
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コメント
平賀源内って凄い人だったんですね!もし、今の時代に生まれてたらどんな発明したのか。どんなコピーライターになってたかとか思っちゃいます。(^_^;)
それにしても先走って殺してしまったのは痛いですね…。それだけ源内にとって重要な仕事だったとゆうことでしょうかね。
投稿: 見習い大工 | 2006年11月23日 (木) 23時33分
見習い大工さん、こんにちは~。
やっぱり、事件を起こした時は、源内さん酔っ払ってたんでしょうかねぇ~?残念ですね。
もし、今の時代なら、ぜひコピーライターになっておもしろいCMを作っていただきたいですね~。
今の私は、ホットペッパーのCMがおもしろい!
スマップの映像に関西弁のアフレコしてるヤツです。
アレって全国CMなのかな?
もし、関西だけのCMだったらゴメンナサイね。
投稿: 茶々 | 2006年11月24日 (金) 15時58分
はじめまして。
「非常の人」で検索して辿り着きました。
昔NHKでやっていた「天下御免」というハチャメチャ時代劇が大好きで、平賀源内のファンになりました。
彼の生き方に触発されて、自分もそんなふうに生きたいと思ったのです。
世の中の常識に流されず、自分の信念を曲げない。人から「変わっている」と言われるのを好む。こんな今の自分は、強烈な自我が芽生え始めた中学時代に平賀源内を知ったことがきっかけで形作られたのです。
東京台東区にある墓にも行ったことがあります。
「非常の人」の詩、「天下御免」にも出てきました。
久々に思い出してググってみて良かったです...。
投稿: どーもオリゴ糖 | 2010年5月19日 (水) 14時19分
どーもオリゴ糖さん、こんばんは~
>ググってみて良かった・・・
とても、うれしいお言葉・・・
すなおに喜ばさせていただきます。
投稿: 茶々 | 2010年5月19日 (水) 17時31分
はじめまして。
昨日、NHKで平賀源内の特集をみて、
初めて平賀源内を知りました。
歴史上の人物で衝撃を受けた人は
これまでいませんでした。
大変わかりやすく紹介していただき
感謝いたします!
投稿: さく | 2011年6月23日 (木) 10時29分
さくさん、はじめまして
このブログを書いている羽柴茶々です。
ご訪問とコメント、ありがとうございました。
>昨日、NHKで…
ヒストリアですね。
私も、見ましたが、おもしろかったです。
また、遊びに来てくださいo(_ _)oペコッ
投稿: 茶々 | 2011年6月23日 (木) 11時32分
平賀源内 名前だけ知っていましたが、詳しく知ると とても興味深い人でした。
面白いエピソードがあればお知らせください。
投稿: ごがつ | 2012年5月24日 (木) 10時15分
ごがつさん、こんにちは~
ホント!
源内さんは、オモシロイ人です。
また、遊びに来てくださいね。
投稿: 茶々 | 2012年5月24日 (木) 15時20分
源内の生涯が簡潔に網羅されていて感心しました。
2012年5月、小中陽太郎氏が平原社より「翔べよ源内」と言う歴史小説を上梓、5月19日名古屋徳川美術館、宝善亭において出版記念講演会&祝賀会が開かれました。
演目は源内出身の香川県志度にある86番札所の志度寺住職、十河章氏による、志度寺に伝わる藤原不比等にまつわる海女伝説絵巻の解説と、その物語を戯曲化した能舞台の音曲の一部が能笛の第一人者、藤田流11世、藤田六郎兵衛氏によって披露されました。
小中氏は源内の生きた時代と現代社会がなんとなく似てはいないかと述懐されていました。
東京では6月9日、源内の里、香川県志度の源内記念館では7月7日にそれぞれ出版記念講演会が行われます。どなたでも入場可能です。
「翔べよ源内」は源内を裸にした小説で、男色家であったことも赤裸々に表現、田沼意次との関わり、事業家、戯曲家、本草家としての源内が汲まなく描かれています。
解体新書の杉田玄白との交流等、学術的な面もしっかり書かれた名著だと思います。
是非、お読み下さい。
投稿: 濱田八郎 | 2012年5月28日 (月) 11時07分
濱田八郎さん、こんにちは~
いろいろと、情報ありがとうございました。
投稿: 茶々 | 2012年5月28日 (月) 13時51分
こんにちは、茶々さん。
平賀源内の事件ですが、今だと精神病院、または執行猶予でしょう。こういう事件は結構日本では多いです。それに気が病んでいたならばとても刑務所よりも病院に入れた方が良いし、海外ではそうしています。実はバスチーユの監獄も最後の囚人はこういう人か破産した人で政治犯はいないです。ルイ16世はいずれ解体し、精神患者は田舎で過ごさせるつもりでした。田沼意次も危ないと思ったらどこか閉じ込めさせるか小石川みたいなところで養生させるべきだったと思います。ああいう人はいざという時に役立ちますが平時はダメです。最後に精神疾患を抱える私から何ですが刃物は身近におかない方が良いと思います。こういう系統の人は急に暴れます。私自身がそうなので刃物はあまり使わないようにしています。
投稿: non | 2016年6月18日 (土) 18時12分
nonさん、こんばんは~
う~~ん??
なんか、お酒のせいで勘違いしてしまったみたいな感じではないでしょうか?
投稿: 茶々 | 2016年6月19日 (日) 04時15分
大名屋敷の修繕のトラブルが原因の、殺人事件で捕縛は実話でしょうか?
「獄中で死亡」は聞いた事があるのですが、はっきりとした捕縛の理由を知りませんでした。
今回の大河ドラマでの安田さんの源内はどうなるのか?
別の時代劇では「死んだふり」をして脱獄して逃走に成功した場面がありました。
ところで「べらぼう」に関して番組の感想の記事がまだないです。
ある程度の回が進んでから「序盤のまとめ」の記事でまず載せる予定ですか?
投稿: えびすこ | 2025年2月11日 (火) 10時41分
えびすこさん、こんばんは~
有名人故、色々憶測されますが、どうなんでしょうね~
ドラマはドラマなので、文字通りドラマチックな演出で描いていただきたいと思います
投稿: 茶々 | 2025年2月12日 (水) 02時11分