徳川家康は四人いた?説
天文十八年(1549年)11月27日、松平家が治めていた三河が今川義元の支配下となり、竹千代(後の徳川家康)が人質として駿府に送られました。
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三河岡崎城主・松平広忠の子として生まれた徳川家康は幼名を竹千代といいます。
今川義元の援助を得るために6歳の時に人質に出されますが、人に騙され、なぜか尾張の織田信秀の人質に・・・(8月2日参照>>)。
そして、今度は8歳のこの日、改めて今川義元の人質となったのです。
(織田から今川へと移る経緯については11月6日:安祥城の戦いを参照>>)
家康は、この日から桶狭間の戦いで義元が織田信長に倒される、19歳の時まで今川家で人質生活を送る事になるのです(5月19日参照>>)が、その間、竹千代→松平元信→松平元康と名前を変え、人質生活が終った後、徳川家康と名乗る・・・そして、最後はご存知のように天下を取って江戸にて幕府を開くわけですが、はたして、これらの人物は、本当に一人の人物なのか?どいう疑問・・・
もちろん、これらは、あくまで仮説の域を出ない物・・・正史とは呼べないドンデモ説なわけですが・・・。
まず、1つめの仮説は、最初に竹千代と呼ばれていた人物と、改名した元康は親子であって、親子二代の物語が、一人の人物の事として語られている・・・というものです。
たしかにこれは、ない話しではありません。
一生のうちで19回も名前を変えたあの斉藤道三の、坊さんから油商人そして、やがて美濃一国を手に入れる国盗りの物語が、親子二代の話しであった事は、今や有名な話です(4月20日参照>>)。
家康の場合も、素性のわからないご先祖さまの親氏(ちかうじ)を、清和源氏の子孫という事に書き換えちゃった話や、家康の父親・広忠が24歳で家臣に暗殺され(12月5日参照>>)、その父親(つまり家康のおじいちゃん)の清康も25歳で家臣に暗殺という、ミョーな雰囲気漂う経歴となっていますから、疑い出したらキリがありませんね。
しかし、もっとスゴイ仮説が・・・。
それは、家康の奥さん・築山殿と息子・信康を死に追いやった一件(8月29日参照>>)に関係があります。
築山殿と信康は武田方と通じている疑いをかけられて、信長の命令によって家康が殺害(信康は自害)するのですが、この時の家康の心中が、かねてから大きな謎なのです。
家康という人は、信長の命令だからしかたなく涙を呑んで斬ったのか?
それとも、嫁と息子を平気で死に追いやれるくらい冷徹な人物だったのか?
という点が、あーだこーだと論議のまとになるのですが、その仮説によると・・・。
家康は、今川の人質時代に今川義元の姪である築山殿と結婚します。
そして、二人の間に生まれた息子・信康。(ここまでは正史です)
この信康を、町を放浪していた願人坊主(町で施しをもらう坊主)の世良田二郎三郎元信という男が誘拐したところ、その間に家康(当時・元康)が家臣に暗殺されてしまい、その事を知った元信が、信康をつれて乗り込み、まんまと、家康になりすました・・・というのです。
何とか築山殿を言いくるめて過ごしたものの常に不安でした。
ですから、武田との密通が疑われ、信長の命令が出た時は、「これ幸い!」と、むしろ喜んで真相を知っている赤の他人の築山殿と信康を始末できた・・・というのですが・・・。
これは、どうでしょう?ちょっとキツイですね。
この築山殿の一件が起きたのは、家康38歳の時・・・入れ替わったのがいつかわかりませんが、人質時代なので最高でも19歳。
事件の時ですでに、二十年近くなりすましていた事になりますが・・・奥さんが騙されていたのか?知ってて黙っていたのか?
いずれにしても20年間はちょっと無理がありますよね。
そして、もう一つの仮説。
これは、大坂夏の陣であの真田幸村に襲撃を受けた時の話・・・たしかに、あの時、幸村は「家康の首さえとれば、勝機あり」と狙って、あわやというシーンがあったのは事実なのですが・・・(5月7日参照>>)。
仮説では、実はその時、幸村に襲われた怪我がもとで、家康は死んでしまったのだそうです。
しかし、家康の死が公になれば、幸村の言う通り、どんな風に戦況が変るかわかりません。
そこで、側近たちが天下が治まるまで、替え玉を用意して、家康の死を隠します。
そして、一年たって、政情が安定して不要になった替え玉・家康に毒入りの鯛の天ぷらを食べさせて闇から闇へと葬った・・・というのです(【堺・南宗寺の無銘の塔~徳川家康のお墓説】参照>>)。
たしかに、武田信玄は三人の影武者を使っていて、やはりその死を隠したと言いますし、家康自身、替え玉・・・というより影武者を使っていたとも言われますから、これはひょっとすればひょっとする話ですが、もし、仮に全部の仮説が本当だったら、家康と言われる人は四人いた事になります~。
いや~、実にワクワクしますね~。
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