戦国大名・大友氏の落日
天正六年(1578年)11月11日、北九州に勢力を誇っていた大友氏と南九州を統治していた島津氏の雌雄を決する耳川の戦いが勃発しました。
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当時、北九州一帯はキリシタン大名のオンパレードでした。
一番早くにキリシタンになったのは、長崎を治める大村純忠(すみただ)で、永禄六年(1563年)に入信。
その後、島原領主・有馬氏をはじめ、五島氏、天草氏、黒田氏、小西氏、そして今日の主役・大友氏と、50家以上を数える一大キリシタンワールドでした。
(この事は後の島原の乱にも少なからず影響があるかと思います)
これだけ多くの大名たちがキリスト教に入信したのは、中には純粋な信仰心の人もいたのかも知れませんが、後々にキリシタン禁止令が出されると、あっさりと改宗する大名がたくさん出た事を考えると、やはり外国貿易の利益・・・というのが大きく左右されていたと思われます。
しかし、大友氏を率いる豊後(大分県)の大友宗麟(そうりん)は、利益だけではなく、こころからキリスト教への強い信仰心を持っていたようで・・・
大友宗麟・・・この宗麟というのは、禅宗の法名で、本当の名前は大友義鎮(よししげ)。
そんな禅宗にどっぷり浸かっていいた宗麟の人生が変るのは、天文二十年(1551年)にあのフランシスコ・ザビエルと会ってからでした。
ザビエルの話に感銘を受け、気持ちはどんどんキリスト教に傾いていきます。
宣教師たちは、宗麟の事を「豊後の王」と呼び、「日本の初期の布教の成功は、神デウスと豊後の王のおかげである」とイエズス会への報告書にも書いています。
領主が熱心に布教活動するのですから、当然家臣のなかにもキリスト教信者がどんどん増えて行きます。
しかし、そうなるとやはり家族や重臣などの中にも、あまりのキリスト教どっぷりぶりにこころよく思わない者も出てきます。
やがて、宗麟はキリスト教に反対する奥さんとも離婚するし、家臣の内部分裂も深刻な問題になってきます。
そこで、元亀四年(1573年)に宗麟は家督を息子の義統(よしむね)に譲り、天正五年(1577年)には、いっさいの政務から身を引いて隠居となり、純粋にキリスト教徒としてのみ生きようと心に決めたのです。
ちょうどその頃、隣国・日向(宮崎県)の大名・伊東義祐(よしすけ)が島津氏との戦いに敗れ、国を捨てて豊後へ逃げて来る・・・という事が起こります(8月5日参照>>)。
いずれは決着を着けなければならない北九州の雄・大友氏と南九州の雄・島津氏・・・「そうだ!もし、その戦いに勝って、日向を手に入れる事ができたなら、そこに、キリスト教徒によるキリスト教徒のための理想郷を造れる!」
宗麟は洗礼を受け、正式にキリスト教徒のドン・フランシスコとなり、日向争奪の戦いへと進んで行きます。
翌・天正六年(1578年)春になると、早速、大友氏は日向に進攻を開始します。
またたく間に日向北部を占領し、秋には宗麟自ら船団を組んで、海路、日向へ・・・船には十字架の軍旗をかかげ、兵士は胸にロザリオを懸け・・・まさにキリスト教一色です。
上陸した宗麟は、延岡市郊外の無鹿(むしか)を本拠地と定め、近隣の社寺を取り壊しては、その材料で教会を建築・・・「いつか、ローマにもその名声が轟くようなキリスト教国家・ムシカを造るぞ~」と、大ハリキリです。
やがて、日向の各地に城を攻め落としながら南下していた大友軍の主力部隊は、天正六年(1578年)11月11日、児湯郡高城あたりで、島津軍の主力部隊と衝突・・・耳川の戦いの火蓋が切られました。
しかし、翌日の12日まで続いたこの合戦に大友軍は大敗してしまうのです(2008年のページ参照>>)。
多くの重臣を失い、全軍総崩れとなった大友軍は、耳川のあたりまで追撃され壊滅状態となります。
12日の夕方には、傷ついた兵士たちが命からがら無鹿に逃げ込んで来て、合戦の状況が明らかになるにつれ、無鹿で理想郷建築に携わっている者たちにも動揺が走ります。
宗麟自身もその日の深夜、とりあえず無鹿を脱出・・・こうして、大友宗麟のキリシタン理想郷建国の夢は終わりました。
この日を境に、大友氏は内部分裂が収拾不可能な状態のまま、衰退の道を歩んで行くのです。
やがて豊後の本拠地にまで進攻してくる島津軍・・・結局、自ら九州征伐に出陣してきた豊臣秀吉の力を借りて、何とか豊後一国を死守した大友氏でした。
大友氏にとって、今日・11月11日が運命の別れ道だったようです。
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