荒木又右衛門は何人斬ったか?
寛永十一年(1634年)11月7日は、曽我兄弟の仇討ち(5月28日参照>>)、忠臣蔵(12月14日参照>>)と並んで、日本三大仇討ちと称される伊賀上野鍵屋の決闘があった日だと言われています。
・・・・・・・・・
その決闘で、剣豪・荒木又右衛門(あらきまたえもん)が大活躍!
ちょっと、前までは時代劇の定番にもなっていました。
伝説の36人斬りで、又右衛門は超・有名人になるわけですが・・・この人数・・・怪しすぎます~
(ウチの祖母は「アレはホンマは二人半やねんで」と見てきたような事を言ってましたが、その半の意味もワカラン)
そもそもの発端は、岡山藩士の渡辺数馬(わたなべかずま)なる人物の父親・渡辺靭負(ゆきえ)が、ちょっとしたイザコザで、河合又五郎(かわいまたごろう)に殺されてしまい、この数馬さんが、「父のカタキ!」とばかりに、主君・池田忠雄(いけだただかつ)に願い出て、仇討ちを決意するのです。
しかし、この数馬さん、けっこう腕に自信がない・・・で、お姉さんの旦那で、大和郡山藩の剣法師範だった荒木又右衛門に助太刀(すけだち)を頼むのです。
そして、仇討ちの旅に出て、全国を探し歩くなか、伊賀上野の鍵屋の辻(三重県上野市小田町)にて、にっくき敵・河合又五郎を発見します。
「やっと見つけたぞ。父の敵!
いざ、尋常に勝負しろ!」
と、決闘が始まります。
しかしこの時、相手にも助っ人が大勢いました。
又右衛門は、とにかく数馬と又五郎を一対一で戦わせようと大奮闘!
相手の助っ人36人を斬り倒し、ふたりっきりになった所で・・・
「さぁ、どうぞ」と・・・
数馬は、勇んで又五郎に斬りかかり、本懐を遂げる・・・というのが、時代劇で描かれるストーリーです。
(なんか・・水戸黄門でこんなシーン見た気がする・・・その場合は、たいてい助さん格さんがまわりの邪魔者をやっつけて、幼い弟と美人の姉さんが仇討ってるなぁ~)
ところが、皆さんお察しのように、実際はこんなドラマのような話ではありません。
そもそも父の敵でもなかった・・・というのだから、話は根底からくつがえされますよね~。
本当は又五郎が斬ったのは、数馬の兄で、しかもその兄は主君・池田忠雄の恋人だった(もちろん男同士のアレです)そうで、恋人を殺されてメチャメチャ怒った池田さんが、本当は自分が敵討ちしたいぐらいなんだけど、殿様なのでそーゆーわけにはいかず、弟の数馬に「やっちゃいな」と、命令したというのです。
しかも、又五郎の雇った助っ人は十数人らしく、全員斬っても、36人にはほど遠い・・・。
事実、この時の仇討ちの報告書が、藤堂藩に残っているそうなのですが、その文書によると・・・
●本人:渡辺数馬 年齢:27歳
胸に2ヶ所の重症
●荒木又右衛門:姉婿 年齢36歳
右手親指と薬指軽症
●河合甚左衛門:又五郎伯父 年齢41歳
左肩1ヶ所・又右衛門討つ
記録はこれで終わりです。
えぇ!・・・一人?
しかも伯父って・・( ̄○ ̄;)!・
36人はないにしても、まさか一人とは・・・
歴史って、知らないほうがロマンがあって良い事も時々ありますね。
とにかく、江戸時代、この仇討ちは講談で大評判になります。
評判を呼べば呼ぶほど、どんどん人数が増えていってしまった・・・て所でしょうか。
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コメント
こんばんは
日本刀って、一人か二人斬ったら刃こぼれしてダメになってしまったとか。
ただし、刺すんだったら何度でも大丈夫だったみたいです。
投稿: M.M(仮名) | 2006年11月 7日 (火) 22時43分
MM(仮名)さん、こんにちは~。
コメントありがとうございます。
そうみたいですね。
新撰組も突きまくってた・・・という話を聞いた事があります~。
その場合は抜くのがたいへんだとか・・・
考えると怖いです~。
投稿: 茶々 | 2006年11月 8日 (水) 15時41分