佐藤忠信~吉野山奮戦記
文治元年(1185年)12月20日、兄・源頼朝の追手に囲まれた主君・源義経を逃がした後、佐藤忠信が奮戦します。
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佐藤忠信(ただのぶ)は、兄・嗣信(つぐのぶ)とともに、奥州・平泉の藤原秀衡(ひでひら)が源義経(みなもとのよしつね)に与えてくれた家来です。
義経が鞍馬を出て、奥州・平泉で過ごしていた時、兄・頼朝の旗揚げを聞いて、兄の下へ馳せ参じた、その時から義経と行動をともにします。(10月21日参照>>)
しかし、佐藤兄弟の兄・三郎嗣信は、平家との屋島の合戦で、義経の身代わりとなって討ち死にしました(12月19日参照>>)。
そして、弟・四郎忠信は、頼朝に追われるようになった義経とともに都を落ち、吉野山までやってきます。(11月3日参照>>)
今日はその吉野山での佐藤忠信の奮戦記を、『義経記』に従って12月20日の日づけで書かせていただきます。
(『義経記』は、日付が微妙に違っていたりしますが、ご了承ください)
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さて、先月、静御前と別れた(11月17日参照>>)義経さんご一行・・・頼朝の追捕の手が迫り、吉野山の蔵王堂の奥の中の院の谷に潜伏中、周囲を囲まれてしまいます。
ここで、主君が捕まれば再起も叶わないとして、忠信は「ここは、ひとつ私めにおまかせ下さい」と、名乗り出ます。
追手をひきつけておいて、その間に義経を逃がそうという考えです。
「ここで、踏ん張らねば、私を選んで殿(義経)の家来とした秀衡様に申し訳がたちません」とまで決意をあらわにする忠信に、義経たちは涙を流しながら別れを告げます。
そして、忠信は6人の従者とともにその場に残り、林の向こうから聞こえる鬨(とき)の声の集団を待ちうけます。
まもなく、集団が近づいてくると、6人に防ぎ矢を放たせ、忠信は横に回って横から矢を射掛けます。
「それ!、皆進め!伊勢三郎、熊井太郎は、いてるか!片岡八郎、弁慶かかれ!」と、いない者の名前をいるかのように、叫び続けます。
しかし、いったんは、ビビッてその場から散った集団も、なかなか義経側が攻めて来ないので、また徐々に前へ出て、忠信らのいる場所に雨のように矢を降らせます。
そして、その矢が少しおさまった時、「そら、今や!敵に矢は無くなった!乱入して斬りまくれ!」と、忠信は声をかけましたが、ふと見ると配下の6人は、皆、敵の矢に当たって死んでいたのです。
ただのひとりになってしまった忠信・・・「足手まといがいなくなって、ほっとしたわ・・・」と空しく強がってみせた時、目の前に大男が現れます。
その男は、倒れた杉の木の上で、忠信になかなか手を出せずにいる味方の兵士に向かって「お前らだらしないゾ!相手が九郎判官やからってビビッてんのか?」と叫んだ後、今度は忠信に向かって「鈴木党にこの人あり、と言われた横川禅師覚範(かくはん)とは俺の事だ!矢を一本お見舞いする!」と、名乗りをあげて矢を射ってきました。
その矢は忠信の太刀をかすめて、後ろの椎の木に根強く突き刺さります。
「これは、まともな弓の勝負では勝てない」と思った忠信は、相手の弓を狙います。
・・・と、次の瞬間、覚範の弓の上部が吹っ飛びます。
「さぁ、一騎打ちと参ろう」
ふたりはともに太刀を抜いて、斬り合いになりました。
やや、忠信が優勢・・・しかし、忠信は三日間食事をとっていないため、ここぞ!というところで力が入りません。
それを見てまわりで見物していた者は「覚範が危ない!覚範を助けろ!」と、忠信を囲みます。
すると、覚範は「ひかえろ!大将軍の一騎打ちっちゅーもんは見物するもんや。俺に恥をかかせるつもりか!」と大声で怒鳴ります。
どうやら覚範は忠信の事を義経だと思っているようなのですが、もちろんそれは忠信の作戦どおり・・・この為に忠信は、先ほど別れの時、義経に頼み込んで「自分は義経である」と名乗る許可を貰っていたのです。
相手が忠信を義経だと信じ込んでいれば、それだけ時間が稼げます。
ある太刀は兜を傷つけ、ある太刀は首の横スレスレに・・・一進一退の斬り合いをくりかえしながら、わずかなスキを見つけて、身軽な忠信は崖に突き出た大きな岩に飛び移りました。
たとえ、覚範を倒しても、その後ろには大勢の兵が控えています。
もう、このまま崖へ飛び込んで命果てようかとも思ったその時、岩の向こうから覚範の声。
「逃げるな!卑怯やぞ!俺はどこまでも追いかけるからな!」
と、言うなり大岩に向かってジャンプ!
しかし、覚範は忠信の倍ほどもあろうかという巨体です・・・思わずバランスを崩し、転ぶように岩に着地してしまいました。
態勢を立て直す前に、すかさず真正面から斬りかかる忠信・・・そして、見事覚範を討ち取ります。
向こうのほうでは、崖の大岩の様子がわからず、ざわつく兵士たち。
「お前ら、何をまごまごしている!噂に名高い覚範の首をこの義経が討ち取った。供養してやれ!」
と、兵士たちに、首を投げつけました。
「あの鬼のような覚範が討ち取られた~」と、ビビリまくりで後ずさりする兵士たち・・・そのスキに忠信は、崖の岩の足場を探し探ししながら飛び移り、姿をくらましました。
身を隠しながら山を下って行くと、南大門が見え、その側に小さな坊が建っています。
誰の坊かはわかりませんが、とりあえず忠信が坊の中に入ってみると、食べかけの食事がそのままに、住人の姿はありません。
食事の最中に大勢の兵士が義経を追って山に入って来たのを見て、「戦に巻き込まれては大変!」と、あわててそのまま逃げたようです。
とにかく、残った食べ物を戴いて久々の満腹感を味わう忠信・・・疲れもあって、しばし、うつらうつらしていると、何やら周りが騒がしい。
ふと見ると、どうやら囲まれたようです。
「九郎判官、そこにいるなら出て来い!」
「判官殿、隠れているのは卑怯だゾ!」
という叫び声とともに、「坊に火をかけて、出てきたところを射殺せ」という声も聞こえてきます。
「このままでは、いかん」と忠信は、自ら坊に火を放ちました。
その炎を背景にして敵の前に姿を現します。
「俺は、九郎判官ではない。佐藤四郎兵衛忠信や。今、腹を切るからよ~く見とけ!」と言って、腹を切るマネをして、後ろの炎の中に身を隠しました。
それを見ていた兵士たちは、皆「死んだ・・・」と思いましたが、実は忠信は炎の中を走りぬけ、後ろの山へと逃げたのです。
もう、充分時間は稼ぎました。
おそらく義経も、遠くへ逃げたでしょうから、こうなった以上、自分は生きれるだけ生きて、自分なりの戦いを続けようと決意したのです。
そして、翌々日の23日、忠信は京都に潜入します。
実は、先日の都落ちの時、大好きな彼女を京都に残したままだったのです。
・・・と、このあと、忠信さんは、彼女に会いに行くのですが・・・そのお話は、9月21日【みちのくの勇者・佐藤忠信の最期】のページでどうぞ>>>
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