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2006年12月 8日 (金)

真珠湾攻撃

 

昭和十六年(1941年)12月8日、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発しました。

・・・・・・・・・・

当時、ヨーロッパの大戦ではイギリスドイツに追い詰められ、チャーチル「何とか、この戦争にアメリカを参加させたい。」と思い、アメリカを参戦させるためには、「日本と戦わせるしかない」と考え、アメリカ中国オランダとともに日本に対して経済封鎖をします。

石油などの有力物資を絶たれ、中国との戦争の終結も見えず、外交もまずくなる日本。

そんな日本に、この年の11月27日、アメリカから“ハル・ノート”が突きつけられます。

“ハル”とは、当時のアメリカ国務長官の名前です。

そこには“日独伊三国同盟の破棄”、“日本の中国大陸からの撤兵”、“蒋介石政権の中華民国以外を認めない(当時日本は汪兆銘政権を支持)などの日本にとっては厳しい条件が含まれていました。

アメリカにとっては、1通の提案書だったのかも知れませんが、日本側から見れば、この“ハル・ノート”は、最後通告でした。

それまで、「何とか交渉の場で・・・」と考えていた人たちも「戦争するしかない」と思うようになります。

時の政府はこの戦争の名前を“大東亜戦争”とする事を決定しました。

当時の海戦の主流は戦艦同士の一騎打ち・・・航空母艦は補佐的な役割を果たす兵器でした。

日本は、その空母に空前規模の機動部隊を編成し、アメリカ軍の警戒網をくぐり抜け、燃料補給を続けながら太平洋を渡る・・・という、一か八かの賭けに出ます。

そして、運命の昭和十六年(1941年)12月8日の日本時間午前1時・・・荒れ模様のハワイ近くの洋上に集結した六隻の空母の中の旗艦・赤城のマストに、出撃を意味する“Z旗”がひるがえります。

やがて、前代未聞の大作戦に選ばれた若き精鋭たちは、合計・413機の戦闘機に乗り、一斉に発進していきました。

しばらく飛んだ後、攻撃隊を率いる淵田中佐は、“全軍突撃”を意味する『ト』連送を発し、各戦闘機は攻撃位置へと散らばります。

しかし、この時になっても敵機は一機も現れず、対空砲火もなく、ホノルルはごく普通の日常の光景でした。

「いける!」と、勝利を確信した淵田は、まだ一撃も攻撃していないにもかかわらず『トラ』連送を発します。

「トラ・トラ・トラ(我、奇襲に成功せり)」
数分後、真珠湾は炎に包まれました。

それからしばらくした頃、ワシントンにあるアメリカ国務長官・ハルの部屋から、神妙な面持ちで退室する二人の日本人・・・駐米大使の野村来栖(くるす)の二人でした。

前日受信した日本からの“最後通告書”・・・解読と翻訳に手間取り、指定された時間より遅れた物を、慌てて届けに来たものの、ハル長官は「これ程、恥知らずな文書を見たことがない!」と激怒。

なぜなら、彼らが届けに来た時には、もう攻撃がとっくに始まっていたからです。

もちろん二人は、攻撃開始を知らずに届けに来たのですが・・・。

ただ、この時の“最後通告書”は、アメリカ本土でも受信し、攻撃の2時間前には解読され、ルーズベルト大統領日本の“宣戦布告”を知っていた・・・とも言われていますが、なぜか何の警戒措置もとりませんでした。

宣戦布告しても、すぐに攻撃はしてこないだろうと思ったのか?
攻撃するにしてもアメリカ国内ではないだろうと思ったのか?
それとも・・・

結局、この攻撃によってアメリカ海軍は主力戦艦をことごとく失う事になるのですが、その代わり、戦争に反対していたアメリカ国民の世論が「リメンバー・パールハーバー」のもと、一致団結して参戦へと加速させる結果となったのです。

アメリカの参戦は、イギリスをはじめとする連合国にも大きく影響する事となります。
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コメント

 茶々さん、こんにちは!

 先日から研修中の私ですが、今日は休みで部屋に戻り洗濯をしております~(汗)。

 ハル・ノートにしてもルーズベルトの対応にしてもいろいろとアメリカの影の部分がよく表面化しますが、結果的に日本側の落ち度として認識されていることは仕方なく残念です。
 真珠湾では当時老朽化した戦艦だけが停泊しており、主力とされた空母部隊は離れていました。戦前から日本側の暗号はすでに解読されていたそうですから、開戦前から不利であったのです。

こうした歴史から非情な戦争の無意味さをこれからは日本は世界にもっと主張していくべきなのでしょうね。

投稿: ルーシー | 2006年12月10日 (日) 17時41分

ルーシーさん、こんにちは~。
研修お疲れさまです。

「日本のおかげでアジア諸国は独立した。日本というお母さんが、身を投じて難産に挑んでくれたおかげで東南アジアの国々が生まれたのだ」というタイ首相・プラモートの言葉・・・。

ヨーロッパの国々に次々と占領されていた当時のアジアの現状も、ちゃんと学校で教えていただきたいと思いますね。

投稿: 茶々 | 2006年12月10日 (日) 18時52分

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