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2007年1月14日 (日)

ハリーとハレー彗星の話

 

1742年1月14日は、あのハレー彗星の軌道を計算したイギリスの天文学者・エドモンド・ハリーさんのご命日です。

・・・・・・・・・・・・

エドモンド・ハリーは、1656年にイギリスの裕福な家の子供として生まれ、オックスフォード大学クィーンズ・カレッジ在学中に、すでに“太陽の黒点”についての論文を発表します。

Harycc 大学を卒業してからも、月を中心とした天体観測を続け、“星図”“モンスーン”など気象や天文に関する論文などを発表しています。

37歳の時には、人の死亡年齢の統計学から年金サービスの適切な価格などを割り出すという“年金に関する論文”を発表し、天文学者だけではなく、数学者としても活躍するようになり、海軍からのご使命で“海図”などを製作する事もありました。

そして、ハリーが49歳でオックスフォード大学教授の職務についていた1705年に有名な“ハレー彗星の出現の予言”を書いた論文を発表するのです。

これは、1337年から1698年までに観測された24個の彗星の記録とハリー自身が観測した1682年の彗星の記録を総合して丹念に調べ上げた結果、1531年と1607年と1682年の3つの彗星が同じ物である事に気付き、「今度は1758年に同じ彗星が現れるであろう」と予言したものです。

その後、ハリー自身は、グリニッジ天文台長を死ぬまで勤め、1742年1月14日、予言をしたハレー彗星を見ることなく亡くなりました

やがて、実際には予言とは一年のズレがあるものの、予想通りの彗星が現れ、ハリーの名前は一気に有名になり、彗星も“ハレー彗星”と名付けられる事となりました。

これは、「惑星以外でも太陽のまわりを公転する天体がある」という事が初めて確認された・・・という意味でも重要な物でした。

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このハレー彗星は、76年で太陽のまわりを一周します。

惑星とは、反対向きに、楕円形の少しズレた形の軌道です。

つまり、76年に一度、太陽に近づいた時に地球でも観測できるわけです。

一番最近では1986年(昭和六十一年)2月9日に最も地球に接近しました。

30歳以上のかたなら、あの大騒ぎを鮮明に覚えておられる事でしょう。

この時は、1982年の10月にアメリカの天文台でキャッチされてから、新聞や雑誌でも大きく取り上げられ、みんなこぞって天体望遠鏡を買いに走ったものですが、結果的にはかなり観測には不向きな状況で、結局は、天文台にあるような高度な望遠鏡でしか確認できないようでした

ただ、近年の宇宙探査技術の発展により、各国が打ち上げた彗星探査機で、彗星が予想通りの氷の粒子でできている事が確認されたり、他にも専門的な発見が数多くあったようです。

その1つ前、1910年ハレー彗星がやってきた時には、かなり良く見えたようで、雑誌や図鑑でよく見かける長い尾を持った写真は、この時に撮影された物です(最接近は5月19日

この時は、彗星の尾の中を地球が通過するという接近ぶりで、尾にはシアンが含まれている事を、ことさら強調したマスコミに人々は恐怖をあおられたのです。

実際には、シアンの濃度は非常に薄いので通過しても何事もなかったのですが・・・。

もちろん、明治四十三年の日本でも、やはりこの時は「ハリーのしっぽがやってくる」と大騒ぎ。

「地球上の空気が5分程なくなる」という噂が広まり、その5分間チューブ内の空気を吸って生き延びようと、お金持ちが自転車のチューブを買占める・・・という事があったそうです。
(ドラえもんでもやってました~)

そんな近代でもこれだけの大騒ぎですから、その正体を知らない昔の人にとっては、飢饉や戦乱の前触れなどと、彗星は恐怖の対象以外の何者でもありませんでした。

もちろん、その恐怖はハレー彗星だけには限りません

承元四年(1210年)に彗星が現れた時は、後鳥羽上皇の指示により、第83代・土御門天皇から第84代・順徳天皇即日交代したのだとか・・・。

天皇だけではありません。
延応二年(1240年)には、鎌倉幕府第4代将軍・藤原(九条)頼経が、彗星出現のため上洛を中止しています。

ちなみに、次の出現予定は2061年7月28日です。

小耳に挟んだ情報によりますと、今度のハレー彗星は、ものすごくはっきり見えるらしく「尾の長さが空の半分を覆うくらいになる」というので、何とか2061年まで、生き続けたい!と願っている私です。
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コメント

次の出現予定は、2061年ですか。私は100歳まで生きなければ見られないことになります。なんとか、100歳目指して、頑張ろうと思う次第です。

投稿: 拓庵 | 2007年1月14日 (日) 10時25分

拓庵さん・・・私もです。
しかも、その時、彗星を見て感動できる冒険心も同時に持っていなければなりませんしね。

「アンチ・エイジング」をスローガンに掲げ、頑張ろうと思います。

投稿: 茶々 | 2007年1月14日 (日) 13時38分

茶々さん、こんばんは!

 私の2061年・・・93歳です(笑)。
そのころ・・・ハレー彗星どころか温暖化やいろいろな状況での人類の存在を危惧・・~と、夢のない現実を想像してしまいました~失礼しました(汗)

 ところで、あのスペースシャトル「チャレンジャーの事故」がもしもなければ1986年の出現時にクリアな映像や研究が出来たのだそうです。あの事故のときには中継を見ていましたのでとてもショックでした。

 次回のハレー彗星は見てみたいですね~♪

投稿: ルーシー | 2007年1月14日 (日) 23時47分

ルーシーさん、こんばんは。

あの時は日本も「すいせい」と「さきがけ」という探査機を打ち上げてましたね。

温暖化も心配ですが、何とか前向きに希望を抱いてハレーの再来を待ちたいです。

昨日、手相を見てもらったら、占い師のオバちゃんが「アンタは90歳まで生きる」と言ってくれたので、とりあえずそれを信じておきます。

投稿: 茶々 | 2007年1月15日 (月) 01時27分

こんばんは。
鎌倉4代将軍・九条頼経は、征夷大将軍とはいえ京都から迎えられたお公家さんですから、やはり迷信深いお方だったのでしょう(笑)

同時代人である藤原定家の『明月記』には、かに星雲の超新星爆発の記事がありますね。但し、定家が生まれる前の出来事ですが。

投稿: M.M(仮名) | 2007年1月17日 (水) 00時04分

MMさん、こんにちは~。

そうですね。
記録の中には、今になれば「これは、ハレー彗星の事ですね」と思える記述がいくつもあるみたいですね。

天照大神の岩戸隠れは日食でしょうしね。
秦の始皇帝の時代にもハレーはやってきたらしい・・・。

投稿: 茶々 | 2007年1月17日 (水) 15時35分

1986年のハレー彗星騒ぎ…。よく覚えています。南半球で幽かにしか見えなかったんですよね…。


1972年のジャコビニ流星群(今では10月りゅう座流星群と呼ばれてるそうですが)と2013年のアイソン彗星とともに三大ガッカリ天文現象でしたね。


でも1998年の10月りゅう座流星群は、かなり堪能できました。(願い事をしまくりました!叶わなかったけど…)


私も「100歳まで生きれば、その時こそハレー彗星を見ることができる!」と当時決意したことを思い出しました。

投稿: とらぬ狸 | 2015年5月19日 (火) 20時24分

とらぬ狸さん、こんばんは~

何とか、次のハレーを見てみたいもんですね~☆彡

投稿: 茶々 | 2015年5月20日 (水) 00時43分

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