七草粥の起源
1月7日は、『七草』です。
別名『若菜節』とも言い、昔から正月七日に“七草粥”を食べると、一年間、無病息災でいられるとされています。
・‥…━━━☆
七草とは、“春の七草”の事で、ご存知だとは思いますが、一応ご紹介させていただきます。
- 芹(せり):セリ科
- 薺(なずな):アブラナ科 ペンペン草
- 御形(ごぎょう):キク科 ははこ草
- 繁縷(はこべら):ナデシコ科 はこべ
- 仏の座(ほとけのざ):キク科 こおにたびらこ
- 菘(すずな):アブラナ科 かぶ
- 蘿蔔(すずしろ):アブラナ科 だいこん
以上の七種の若菜を入れた“おかゆ”を食べるのですが、この“七草粥”の風習・・・本来は、正月の初めての子(ね)の日に、野山に出て若菜を摘んでゆがいて食べる“子(ね)の日の遊び”が起源だとされていますが、なぜ7日なのかは、よくわかっていません。
古代中国でも、この“子(ね)の日の遊び”が行われていたそうなので、おそらく、もとの部分は中国から伝わった物だと考えられます。
日本では、醍醐天皇の延喜十一年(911年)に「正月七日に七種の若草を供す」との記録がありますし、清少納言の『枕草子』にも「七日の若菜」というのが出て来ますから、平安時代からすでに年中行事となっていたのでしょう。
室町時代になると、「正月七日に七種の菜羹(さいこう)を食すれば其人万病なし」と、すでに、その効能が語られ始めます。
江戸時代に入ると、七草は『五節句』の一つにまで数えられるようになり、一般庶民にも普及し、幕府でも公式行事として、正月7日に“七草粥”を食べるようになります。
ただ、江戸時代頃からすでに七種全部そろえるのは、手間がかかったようで、この頃から青菜と大根の葉っぱだけで済まされる事が多くなったようです。
最近では、逆にスーパーなどで、七種類全部パックにされて売られていたりして、むしろ江戸時代よりちゃんと七種類食べてるのかも・・・。
江戸時代の民間信仰では、前日の6日のお粥を作る時に、
♪七草なずな、唐土の鳥と日本の鳥と渡らぬさきに、七草はやす♪
と歌いながら作ったそうですよ。
“唐土の鳥”というのは、鬼車鳥という架空の怪鳥の事で、「この鳥が近寄ると子供が病気になる」と信じられていて、七草で、その鳥を追い払う意味があったという事です。
科学的な面から見ても、お正月には、濃い味付けのおせちを食べお酒を飲む・・・いわゆる暴飲暴食が重なった後のちょうど良い時期にお粥を食べて、お腹を休めるのは理に叶っているそうで、昨今の健康志向と相まって、スーパーでの“七草パック”という新たな商品に繋がったのでしょうね。
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コメント
管理人様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!
さて、七草のお話ですが、私の祖母が住んでいる地方では、七草粥を食べる習慣がないようです。
私も正月は祖母に世話になることが多いので、七草粥を見たことさえありませんでした。。。
その代わり?我が家では『ずし』と呼ばれる七草の時の料理があります。
白味噌味の餅入りのお粥、と言った感じの食べ物で、七草粥のように7種の具が入ってます。
かまぼことか、里芋とか、大根とか…決まりがあるのかは祖母にも解らないそうです(笑)
古くは節句のお祝いをする年になった子供に、近所の人が作ってあげるものでもあったらしいので、厳密に七草粥と同じ意味のものかは解らないのですが…。
何れにせよ、厄除けとか病気払いのものであるようです。
お雑煮のように、七草粥にも地域による差があるのかな?と思う今日この頃でした。
長話になりました。すみません。
管理人様もどうぞお体にお気をつけてお過ごしください!
投稿: ぶれす | 2016年1月 6日 (水) 14時44分
ぶれすさん、明けましておめでとうございますm(_ _)m
昔には、その地域では、その季節に手に入り難い物があったりして、それぞれの地域で様々な工夫がされたんでしょうね。
おっしゃる通り、形変われど、厄除けや病気払い、子供たちが健やかに成長する事を願う気持ちに変わりない事がうれしいです。
今年もよろしくお願いします。
投稿: 茶々 | 2016年1月 6日 (水) 15時24分