初の国際結婚&結婚の歴史
明治七年(1874年)1月27日、宮崎県に住む三浦十郎さんがクレーセンツ・ゲルトマイエルさんという外国人女性と築地の教会で結婚式を挙げました。
日本初の国際結婚です。
そして、奇しくも今日1月27日は、明治十六年(1883年)に初めて新聞に求婚広告が掲載された事から“求婚の日”という記念日にもなっています。
・・・という事で、本日は結婚の歴史について・・・
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第二次世界大戦の後、国連軍の進駐で一気に増えた国際結婚。
今ではグローバルな世界となって、珍しい事でも何でもなくなりましたが、明治の頃はやはり大きなニュースになったんでしょうね。
クレーセンツさんはゲルマンの女性で、すでに現地で三浦十郎さんと結婚・・・今回、夫の母国で正式に式を挙げるために、二人そろってお正月にあわせて日本に来たのです。
「この女性は現地では相当のお金持ちのお嬢様で、5ヶ国語を話し、裁縫も上手で、遠い所をわざわざ日本まで同行するなんて、妻の鏡!」
と、新聞で報じられ、大変なフィーバーぶりだったようです。
そして、明治七年(1874年)1月27日に教会にて、神父様の前でヨーロッパ風の結婚式を挙げたのだとか・・・
鎖国がようやく終って、文明開化の波が押し寄せてきたばかりの時・・・人々の驚きが目に浮かびますね。
ただ、これはやはり近代においての明確な国際結婚。
日本には神代の頃からすでに大陸から大勢の人たちが渡来していたわけで、そんな二人が結ばれれば、国際結婚っちゃー国際結婚なわけで、もはや日本人が単一民族だと思ってる人もいないでしょう。
もちろん、昔は今のような結婚式は挙げませんが・・・。
古事記の時代には、求婚の事を「ヨバヒ(呼ぶという意味)」と言いました~夜這いかと思った・・・(#^o^#)
これは、男が女の家の玄関で、小さい声(夜なので)や、口笛あるいはカッコよく歌を詠んだりなんかして、彼女を誘います。
彼女が何かリアクションを起こせば、ここで一応、結婚が成立!
彼女が彼氏を家に招き入れて、ソッコー結ばれるわけです。
その後、彼女が自分の親に紹介するか、彼氏が通って来てるのがバレるか・・・いずれにしても親の許しは事後承諾という事になるのですが・・・ただし、彼氏が娘の所へ忍んで来ている事に親が気付いても3日間は知らん顔です。
3日めに、結婚式のセレモニーと言える「トコロアラハシ(現場あらわし)」というのを行います。
これは、だいたい3日めくらいに、両親が娘と彼氏が寝ている現場に踏み込んで(スゴイ光景やな・・・タイミング大事かも・・・)、自分ち特製の餅を男に食べさせるという一種のマジナイのような儀式。
“三日餅”と呼ばれるこの儀式が終れば、親も認めた公然の仲・・・という事で、正式な結婚成立です。
平安時代になると、さすがに“寝ている現場を押さえる”というのは無くなり、通って来ているのがバレた時点で、彼氏と両親の正式な話し合いが行われ、OKサインが出ると、その日から“三日餅”までの間に様々なセレモニーが、一連の流れとして組み込まれます。
“婿行列”(夜通っている姿を再現←これ、ちょっと恥ずかしい・・・)
“火合い”(男の持ってきた松明でベッドルームに灯りをともす←キャンドルサービスか?)
“沓(くつ)取り”(彼女の親が彼氏の沓を持って一晩寝る←もう、逃がさんゾという意味?)
“衾覆(ふすまおおい)”(彼氏の上着を掛け布団に使用←ちょっとロマンチックだ)
そして、翌朝、彼氏は下着を彼女が用意した物に交換し、帰宅・・・その後“後朝使(きぬぎぬのつかい)”と称して、彼女に恋歌を送ります。
そして、3日めにやっと例の“三日餅”がやってきて、餅を食べて正式結婚です。
しかも、この費用は全部彼女の両親持ち・・・なので、彼女の一家は大変な出費となるのです。
きっと、“三日餅”の日に初めて明るい場所で奥さん見て、こんな感じの出来事もあったんでしょうね・・・あっ、でも平安時代は太ってるほうが美人なので、逆かもね。
ただし、平安時代くらいまでは、結婚しても今のように同じ屋根の下に住む事はなく、奥さんは実家のまま、そこに毎夜毎夜ダンナが通ってくるという“通い婚”ですから、男のほうも奥さんや両親へのご機嫌取りのため、毎回のように手土産なんぞ用意しなければならなかったようで、こちらもけっこう出費が多かったみたいですね。
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コメント
通い婚のようにまたまた登場してしまうさときちでございます。
本日は○○通りが混んでまして、私の牛車は渋滞にはまってしまい、こんな時間になってしまいました。
今回も大変勉強させていただきました。
口笛を吹いて求愛!
ロマンティックです。
こういう誘い方って万国共通なのでしょうか。西洋にもありますよね。
「寝ている現場に踏み込む」って、、、確かにタイミングが、、、笑
やばっ! 明日は早起きだったんだ。
口笛の練習しながら寝ることにします。
ではでは。
投稿: さときち | 2007年1月28日 (日) 02時24分
さときちさん、こんにちは~。
深草少将が、百日間も小野小町のもとへ通っても家に入れてもらえなかったと言いますから、男の人も大変だったんでしょうね。
やはり翌朝、帰宅してからの「後朝使」で、歌がメッチャへたくそだったり、字が汚かったりしたら、「平安版・成田離婚」・・・なんて事になるんでしょうか?
想像はふくらみます~。
投稿: 茶々 | 2007年1月28日 (日) 21時15分
初の国際結婚の話を読ませていただきました。私もこのテーマに興味をもって調べているのですが、三浦十郎さんが結婚式をあげていたとは知りませんでした。
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/13453
を見ますと全く違う事が書いてあります。
羽柴さんはどんな資料から三浦さんの結婚式のことを発見されたのですか?ぜひ教えてください。
投稿: エスタッチ | 2011年4月 4日 (月) 19時56分
エスタッチさん、こんばんは~
ホントですね~
ご提示いただいた資料には「追い返した」と書かれていますね。
それは、知りませんでした。
私が聞いたのは、明治七年(1874年)2月3日付けの「東京日日新聞」で、「去る1月27日に築地で結婚式を挙げた」事とブログ本文に書かせていただいたような内容が報道されたとの話でしたが、私も、その日の東京日日新聞を直接拝見させていただいたわけではなく、孫引きですし、その報道が正しいかどうかも微妙ですね。
本当のところは、どうなんでしょうね~
投稿: 茶々 | 2011年4月 5日 (火) 00時47分
昔(江戸時代)の女性は「結婚=成人」と言う感覚だったんでしょうか?婚礼の際に女性がおめかしするのはよく時代劇で見ます。
「成人式=元服の歴史」の項目も見たんですが、江戸時代の武士階級の女性は一応元服式はするものの、大名クラス以外では男性ほどは「イベント性」がないのかなと思うんです。時代劇では男性の「前髪剃り」の場面を取り上げますが、女性の元服式はあまり扱いませんね。
投稿: えびすこ | 2012年1月 2日 (月) 16時12分
えびすこさん、こんばんは~
時代劇では、あまり描かれませんが、実際には、女性の元服も、それなりにイベント性はあったんじゃないでしょうか?
もちろん、身分の差による物も大きいとは思いますが…
そう言いながらも、私も、千姫の「鬢そぎ」の儀式を秀頼がやった事くらいしか、思い起こせませんが…
投稿: 茶々 | 2012年1月 3日 (火) 00時57分