最後の斬首・高橋お伝の話
明治十二年(1879年)1月31日、強盗殺人の罪で逮捕されていた高橋お伝への死刑が執行され、これが日本で最後の斬首刑となりました。
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「嘘つきで、欲が深く、男を手玉にとっては、最後に殺してしまう・・・しかも、その女が妖艶な美人」とくれば、メディアが食いつくのは、いつの世も同じ。
高橋お伝は「稀代の悪女」として、当時の新聞紙上でスキャンダラスに報道されるのです。
事の起こりは2年前・・・明治九年(1876年)8月27日に東京・浅草の旅館で、首を裂かれた男の死体が発見されます。
所持金は奪われ、そばには「姉の仇だ」という内容の書置きが添えられていました。
被害者の名前は後藤吉蔵・・・古着屋兼金貸しをしていた男です。
そして、吉蔵に借金のあったお伝が、強盗殺人犯として逮捕されるのですが、彼女は一貫して無実を主張。
彼女の言い分では、これは強盗殺人ではなく“仇討ち”だと言うのです。
彼女の供述に疑いを抱きながらも一つ一つ“ウラ”をとる警察。
そのせいで、逮捕から処刑までの長さが約2年間という、当時としては異例の長期にわたる事になるのです。
お伝は、群馬県で農業を営む高橋勘左衛門の娘として生まれます。
しかし、実は母は勘左衛門のもとに嫁いだ時にはすでに妊娠していて、お伝を生んでまもなく亡くなってしまい、本当の父親については、某藩家老から行きずりの遊び人まで、様々な憶測を呼ぶ事になります。
母が亡くなった事によって、邪魔者になってしまったお伝は、親戚の養女となり、やがて14歳の時に結婚しますが、二年で離婚。
次に、波之助という男と2度目の結婚をします。
今度は仲よく、夫婦関係はうまく行っていましたが、ある時突然、波之助が重い病気にかかります。
病気治療のため多額の借金を抱えてしまった二人・・・。
故郷の冷たい視線に耐えかねた二人は村を捨て、『お伝の異母姉・かねを頼って上京し、姉の援助で横浜で暮らします。
献身的に夫の看病を続けるお伝でしたが、その姿に見惚れてしまったのが、姉の愛人・仙之助という男。
仙之助は親切を装い、「よく効く薬だ」と言って、お伝に一包の薬を渡します。
お伝がその薬を波之助に飲ませたところ、たちまちのうちに苦しみ出し、波之助は死んでしまいます。
恐ろしくなったお伝は、すぐに横浜を離れて、しばらくひっそりと暮らしていましたが、風の便りで姉のかねが急死した事を知ります。
まさか・・・と、仙之助に疑いを持つお伝でしたが、その時はどうする事もできませんでした。』
やがて、お伝はプー太郎士族の市太郎と知り合い、同棲を始めました。
この市太郎という男・・・かなりの坊ちゃん育ちで、「誰かに雇われるのはイヤ!何か商売したい」というので、お伝は金策に走り回ります。
そこで知り合ったのが、金貸しの後藤吉蔵・・・。
『しかし、その吉蔵こそがあの仙之助だったのです。
もともと仙之助が自分に気がある事を気付いていたお伝は、あえてその体を投げ出し、波之助に与えた薬の事、姉の死の真相について聞き出そうとします。
最初はのらりくらりと話をはぐらかしていた吉蔵でしたが、浅草の旅館に泊まったあの日、お伝のあまりの執拗な追及についに逆ギレ。
短刀を振りかざしてお伝に襲い掛かって来たので、それを手で払ったところ、その短刀が吉蔵ののどにブスリ・・・。
「夫と姉の仇が討てた・・・」と、思ったお伝は自首しようと、身の回りを整理していた所を逮捕されたのでした。』
・・・と、これはお伝の供述なのですが、実は、姉の“かね”も“仙之助”なる人物も、この世に存在しない架空の人物だったのです。
上記の『青字』の部分は全部お伝の創作だったと言われています。
本当のところは、働かない市太郎のおかげで、日々の暮らしにも困る生活をしていたお伝に、吉蔵という男が、「金を貸してやるから・・・」と、彼女を体を要求し、嫌な金貸しの言うとおりにしたのに、肝心のお金を貸してはくれなかった・・・というのが真相のようです。
・・・とは言え、病気の夫のために借金をかかえ、逃げるように故郷を離れてから、身を粉にして夫・波之助を看病し、生きるためにその身を売ってギリギリの生活をしていたのは事実。
その後、波之助が病死してから、今度は市太郎という働かない夫のために、借金に走り回ったのも事実。
もちろん殺人はいけませんが、惚れた男に翻弄された感のある彼女の人生は「稀代の悪女」と呼ばれるような物ではなかったように思います。
斬首される直前まで、愛する市太郎の名前を叫び続けたというお伝。
彼女の処刑後、わずか3ヶ月で『高橋阿伝・夜叉譚(やしゃものがたり)』なる絵草子が刊行され大評判になり、続いて、『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』というお芝居も上演されます。
このお芝居の中では、お伝は病気に苦しむ前夫も殺害した事になっています。
芝居や絵草子によって悪女のレッテルを貼られてしまった高橋お伝・・・彼女の「惚れた男に心から尽くす情け深さ」の一面は、見事にかき消されてしまい、悪女というイメージだけが、延々と語り継がれる事になりました。
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*高橋お伝の処刑が最後の仕事となった江戸処刑人・山田浅右衛門については2009年1月31日【最後の斬首刑で役目を終えた山田浅右衛門】のページへどうぞ>>
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コメント
お伝さんかわいそうです(T。T)/
しかし毒婦やら悪女やらとレッテルが付くふざけた話を作り更にそれでたらふく儲けたバカや芝居で儲けた奴らや石川ごえもんだか何だか知らないが斬首したクソバカタレも地獄に堕ちていてほしいと腹の底から思います(−_−#)
悲哀の女性、お伝さんの御冥福を心よりお祈り致しますm(__)m
投稿: 星 虎次郎 | 2011年4月27日 (水) 20時15分
星 虎次郎さん、こんばんは~
そうですね。
彼女も、いい男と暮らしていれば、一筋に旦那さんに尽くす、良妻になっていたかもしれませんね。
投稿: 茶々 | 2011年4月27日 (水) 23時50分