鉄道馬車と『車会党』
明治七年(1874年)1月5日、東京の京橋⇔新橋間に馬車・人力車専用道路が完成しました。
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明治に入って、外国人が持ち込んだ物の中に、馬車という物がありましたが、これは大変高級で、一部の貴族やお金持ちだけの物でした。
それが、明治二年(1869年)に横浜で始まった“乗り合い馬車”という形で、一般の交通手段として利用されるようになります。
そして、明治七年(1874年)1月5日に馬車・人力車専用道路が設けられ、元宮内省・馭者(ぎょしゃ)だった由良清麿が、東京市内で乗合馬車の営業を開始したのです。
この乗合馬車は、2階建ての30人乗りで、午前6時から午後8時まで、浅草雷門から新橋間を1日6往復し、運賃は全区間8銭、途中下車3銭となっていたのだとか・・・
独特のラッパを吹き鳴らしながら、砂煙をあげて疾走する馬車は“ガタ馬車”と呼ばれて、創業開始から、早くも大人気!
徐々に路線も増え、やがて“ガタ馬車”が全盛期を迎える明治十五年(1882年)6月25日に、今度、新しく登場したのが、“鉄道馬車”でした。
色鮮やかに塗られた馬車を、2頭の馬がひき、軌道の上を走るのですから、もはや、砂煙もうもうの“ガタ馬車”とは比べ物にならないくらいの大人気です。
しかし、とりあえず最初に軌道が敷かれたのは浅草⇔新橋間だけ・・・しかも待合所や停車場などは、ちゃんと軌道敷が舗装されていましたが、それ以外の場所は軌道があるのみ・・・
なので、天気の日には、“ガタ馬車”と同じように砂煙が舞い上がるし、雨の日は軌道が水溜りに覆われドロだらけで走る・・・といった状況です。
その点は、軌道の無い“ガタ馬車”なら、水溜りをさけて通れますし、まだ軌道の敷かれていない町にも行けますので、どちらにも、メリット&デメリットがあった事で“鉄道馬車”が“ガタ馬車”に取って代わる・・・という事はなく、電車が登場する明治三十年代まで、けっこううまく共存していました。
しかし、この“鉄道馬車”の盛況ぶりに不安を抱いていた人たちがいたのです。
そう、人力車の車夫たちです。
「このままでは、“鉄道馬車”に、お客さんを全部奪われてしまうのでは?」という不安・・・。
そんな気持ちに便乗したのが自由党の奥宮健之でした。
奥宮は明治二十一年(1888年)、神田明神に300人の車夫を集めて「天下の公道に線路を敷き、一定の場所を占拠するとは、何事か!」と、大演説。
「皆で一致団結して、馬車会社に線路の廃止を訴えよう!」と、集会は大盛り上がりです。
この運動はその後もしばらくの間続き、世間の人々はこの集団に『車会党』なるニックネームをつけて呼んでいましたが、それが、そのまま本当にその会の正式名称になってしまったというからおもしろいですね。
しかし、車夫たちの不安とはうらはらに、人力車も別段問題なく、その後もけっこう繁昌して生き残っていったのです。
そうなると、結局『車会党』は自然消滅・・・。
一時だけの大騒ぎとなって、その後はあの奥宮も馬車の馬の字も出す事なく、何事もなかったかのように自由民権論に戻っています。
いつの時代も、新しい物が古い物に取って代わるか、共存するのかは、人の予想通りには進んでいきませんよねぇ。
レコードとCD、ビデオとDVD、テレホンカードと携帯電話、手紙とメール、タイプライターはワープロになり、さらにパソコンへ・・・
しかし最近のは、どれもこれも、ハードがなければソフトを使えない物ばかり・・・「結局、一万年後に残っている歴史的人類の痕跡は、エジプトやメソポタミヤの石板だけかも知れない」って話は、案外当たってるかもしれませんね。
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コメント
あけましておめでとうございます
毎日の更新、お疲れ様です
本年もどうぞよろしくお願いします
馬車といえば、現在の乗用車のセダンとかクーペとかワゴンとかいう種別は、すべて馬車の種類の名前に由来するんだそうです。
投稿: M.M(仮名) | 2007年1月 5日 (金) 22時27分
MMさん、あけましておめでとうございます。
こちらこそ、今年もよろしくお願いします。
>馬車の種類の名前に由来する・・・
そうなんですか?
山内一豊のページで、一豊が購入した馬を「現在の車に置き換えてみると・・・」って考えたのは、あながち間違いではなかったのですね・・・電車の駅という字も馬がついてますしね・・・
投稿: 茶々 | 2007年1月 5日 (金) 23時43分