鳥羽・伏見の戦い勃発!
慶応四年(1868年)1月2日、この日、幕府+諸藩の連合軍が挙兵し、鳥羽・伏見の戦いが勃発しました。
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慶応三年(1867年)10月の大政奉還(10月14日参照>>)で、幕府中心の共和国政治を考えていた15代将軍・徳川慶喜の思惑は、同じ年の12月の大政復古の大号令(12月9日参照>>)でぶっ潰され、幕府を蚊帳の外にはじいた天皇中心の新政府の誕生となりました。
しかし、慶喜自身はそれでも、まだ、戦争をするつもりはありませんでした。
薩長合わせても百万石、朝廷にいたっては四万石の力・・・・これに対して徳川家は、未だ八百万石ともいわれる規模の領地を所有していたからです。
しかも、300年間という間、国政を荷ってきた政治のノウハウは幕府しか持っていませんから、今の朝廷には、政治などできる力なんて無い状態だったでしょう。
「気長に待っていれば、そのうち泣きついてくるに違いない」
慶喜はそう思っていました。
実際、大政復古の大号令の時に決まった幕府の領地返上や、慶喜の冠位剥奪などは、実行されることなく、宙ぶらりんの状態のままズルズルと時が過ぎ、一部の公卿の中からは、「慶喜が折れて上京するなら、徳川の復権を考えてもいい」との意見まで出るようになります。
しかし、“討幕”を譲れない薩長は、ここで幕府をたたき潰さなければ、いつか幕府主導のもとの状態に戻ってしまうのでは?と思い、何とか今の波に乗って討幕実現へと考えます。
そこで、薩摩藩の西郷隆盛は、「島津家の出身で13代将軍・徳川家定の奥さん・天璋院(てんしょういん・篤姫)の護衛」と称して、江戸に島津家の浪士たちを集め始めます。
そして彼らに、江戸市中のあちこちで、旗本や会津・桑名などの幕府側へ向けてのテロ行為を行い、騒ぎを起こさせるのです(12月25日参照>>)。
西郷の思惑通り、そのテロ行為に怒りまくる幕府側の兵士たち・・・その勢いを、慶喜も押さえる事ができず、とうとう慶応四年(1868年)1月2日に、『討薩ノ表』という薩長に対しての「宣戦布告」の書状を、朝廷に提出するために、幕府軍1万5千が京都に向かって大坂を出発するのです。
2日の夜、淀と伏見に宿泊した幕府軍は、翌3日、淀を出発、鳥羽街道を北にむかって進みます。
そこに、淀川の向こう岸から薩摩藩兵による砲弾が打ち込まれ、あたりは大混乱。
かたや伏見方面でも、伏見奉行所に砲弾が打ち込まれ、ここに鳥羽・伏見の戦いの火蓋が切られました(1月3日参照>>)。
鳥羽伏見の戦いは、最終的には9日の大坂城開け渡し(1月9日参照>>)まで続きましすが、結局この間、幕府側の大将である慶喜は「風邪気味」と称して大坂城を一歩も出ず、幕府の敗戦を聞くなった6日の夜遅くに大坂城を脱出し、江戸へと帰ってしまいます(1月6日参照>>)。
と、書けば慶喜さんずいぶんとカッコ悪い感じですが、この時、挙兵しても幕府には何の得にもならないわけし、慶喜さんは、最初っから挙兵には反対でしたから、「朝廷の弱い部分が露出するまで、待っていたほうが良い・・・時間を稼ぎたい」という考えもあったのではないでしょうか。
ところが、敵もさるもの・・・この間に討幕側は、密かに製作させた“錦の御旗”を、朝廷から授かります。
この“錦の御旗”は、岩倉具視のもとに出入りしていた学者・玉松操(2月15日参照>>)がデザインし、薩摩藩の大久保利通が長州藩の品川弥二郎を通じて山口の職人に製作させた物・・・。
朝廷が・・・というよりは、完全に薩長主導の策略でした。
戦時下に置いて“旗”という物は、平常時の想像以上に重要な物なので、討幕派が“錦の御旗”を掲げることによって、幕府軍はお国にはむかう“賊軍”となってしまうわけです(1月5日参照>>)。
当然、『日本の天下=徳川幕府』と、思って戦っていた兵士たちの士気も下がり、まして大将・慶喜の敵前逃亡・・・風は一気に維新に向かって吹き始めるのです。
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コメント
錦の御旗には大久保利通が絡んでいるんですね。このおかげで薩長はまさしく「官軍」ですね。ところで「龍馬伝」に今日から出る大久保利通を、及川光博さんが演じるのですが「大久保利通にしてはイケメン過ぎるのではないか?」と感じるのは私だけしょうか?年齢で見るとちょうどいいんでしょうが、一昨年の原田さんのイメージが記憶に新しいので。西郷隆盛役の高橋克実さんとのバランスがどうかと…。
投稿: えびすこ | 2010年10月24日 (日) 10時02分
えびすこさん、こんばんは~
土日は出かけていたので、まだ、「龍馬伝」は見ていないのですが…
確かに、原田さんは似会ってたと思います。
投稿: 茶々 | 2010年10月25日 (月) 02時47分