« 木曽(源義仲)の最期~粟津の合戦 | トップページ | 冥王星と海王星が…逆転? »

2007年1月21日 (日)

上杉謙信・女説

 

享禄三年(1530年)1月21日は、あの名将・上杉謙信のお誕生日・・・て事で、今日は“上杉謙信=女”説について。

・‥…━━━☆・

それにしても、びっくり仰天!何でそんな噂が立っちゃうんでしょう?

それは、上杉謙信がその生涯において、あまりにも女性に興味を示さなかった事にタンを発します。

彼は、奥さんはもちろん、女性に手をつける事もなく、おそらく未経験のまま一生を終えているでしょう。

ただ、だからと言って女説までいくのは、数ある仮説の中でも異端な物・・・いわゆるトンデモ説に近い物ではありますが。

小説の中でカッコ良く描かれる謙信像には、実らなかった初恋の相手を一途に思い続け、他の女性を寄せ付けなかった・・・というのがありますが、これはあくまで架空の出来事。

あったかも知れないけれど、ちゃんとした史料が残ってない以上、無かった事になるのが歴史の常です。

それなら、他に可能性があるのは、女じゃなくて男が好きだった?って考えられるわけですが、これは、当時はむしろ大流行・・・別に隠す必要のない事です。

現に、武田信玄にはいっぱい男の恋人がいますし、権力を持った戦国武将のステータスみたいな物ですから、そんな事実があったのなら、どこかに証拠が残っているはずです。

でも、やっぱりどこにも記録は残っていません。

そして、最も有力な説としては「宗教の戒律を守っていたから」という説です。

ご存じのように、謙信はどっぷりと禅宗にハマッていて、僧名も持っています。

ですから、その戒律から女性を絶っていたのでは?という事なのですが、戒律には女性以外にお酒も禁止しているのですが、謙信はお酒の方は絶っていません。

むしろ酒豪です。

お酒の飲みすぎからの脳卒中で・・・というのが、謙信の死亡原因とも言われていますし、手が震えて花押(サイン)が書けず、途中からハンコに変えたと自らが告白しています。

複数ある戒律の中から女性だけを絶つという事は考え難い事ですよね。

・・・て事で、女性を近づけなかった理由に納得のいく物が無い事から、謙信=女説なる物が登場するわけです。

Uesugikensincc あの謙信ご愛用の頭巾が、越後地方で女性が使用する防寒具に似ているとか、
謙信は月に一度、ある一定期間だけ、馬に乗らなかったとか、
残っている着物が赤い色ばっかりとか・・・

それに、本当の死因は「大虫」という更年期障害から来る婦人病だったとも言われていますが、どれも噂の域を出ないもの。

決め手・・・というにはちょっと弱いですよね?

武田信玄のように、男性に宛てた直筆ラブレターでも見つかれば、話は丸く納まるんでしょうけどね。

今のところ、やはり、ただ女性が好きではなかったとしか言えませんね。

学問の上での歴史は別として、空想の世界で遊ぶなら、謙信=女説は、今までにないドラマができそうで、大変興味をそそられます~。
 .

あなたの応援で元気でます!

人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 木曽(源義仲)の最期~粟津の合戦 | トップページ | 冥王星と海王星が…逆転? »

戦国・群雄割拠の時代」カテゴリの記事

コメント

 茶々さん、こんばんは!

 こちらへもコメントします!

「上杉謙信・女説」も興味深いですね~、仰るとおり当時は男色も意外に普通なことでしたから、女説の可能性は??とも言われていますね。
 けれどもさまざまな角度から歴史を検証した方が精度も増しますし、そのうちあらたな史実、文献などが発見されるのかも知れません。

ともあれ現代にまでそんなスキャンダラスな(?)話題の出る武将達~~、さすが覇権を争ったツワモノたちですね♪

投稿: ルーシー | 2007年1月21日 (日) 22時07分

 すみません~(汗)、書き忘れましたが、最近のイラストは茶々さんによるものでしょうか?
さすが、洗練されたデザインと表現で上手ですね~!
 また楽しみが増えたようですよ♪

投稿: ルーシー | 2007年1月21日 (日) 22時09分

ルーシーさん、いっぱいコメントを残してくださってウレシイです~。

最近ちょっと記事が早く書けた時など、「イラストを入れてみようか・・・」という感じで書いております。

ルーシーさんのように100%手書きではありませんので、半分はパソコンのおかげですが、最近はプロの漫画家もパソコンをご使用になってるようなので、まぁ許されるかな?と、パソコンを使用して書いています。

お正月のイノシシの「欧米か!」を書いた頃からちょっと絵を書くのが楽しくなってます。

投稿: 茶々 | 2007年1月22日 (月) 00時27分

TBありがとうございました。ついさっき公開に設定いたしました。

面白い説で楽しいですよね。

投稿: 玉井人 | 2007年2月20日 (火) 13時49分

玉井人さん、TB&コメントありがとうございます~。

そうですね、想像はふくらみます~。

でも、沖田総司=女説(これは小説の中だけか?)よりは可能性大ですね。

投稿: 茶々 | 2007年2月20日 (火) 15時50分

そういえば佐藤賢一が『女信長』を書いていますね。最近文庫版を見かけました。なんでも、もうすぐ映画化されるとか。
女信長がありだと、妻子ある人物の「女性説」がなんだってありになってしまいますね。

投稿: りくにす | 2012年11月18日 (日) 10時17分

りくにすさん、こんにちは~

>なんだってあり

ホントですね~
もちろん、創作は自由なので「なんでもアリ」で良いわけですが、個人的に欲を言えば、やはり、そういう雰囲気を醸し出している方をチョイスしていただきたいですね~

なんか、信長だと「男の中の男」過ぎる気がします(←個人的な感想です)

投稿: 茶々 | 2012年11月18日 (日) 16時03分

そもそも「謙信女説」は話題づくりのためのネタで議論に値しないという話もありますのでまじめに論ずるべきでないかもしれませんが、どうしても女であることを隠し通す理由が分かりません。
東国では女当主の存在を認めない傾向があるのかもしれませんが。
そうであるとその人物は「女性が好む色」を極力身につけないようにすると思いますけど。
さて、『女信長』では最初に正体を見破った人物に、信長の戦法は「いかにも女が考えそうなこと」と言わせています。男はこんな事は考えない、というのですね。だとすると最近のIMFの「日本は政治家や会社の役員にもっと女性を登用すべき」という勧告は的を得ているのかもしれません。
ですが、信長は長子だし弟もいますよね。オスカルみたいに女ばかりの兄弟なら末っ子を男にという話もわかるのですが。
実はこの本最後まで読んでいないので、あらためて挑戦しようと思います。

投稿: りくにす | 2012年11月22日 (木) 16時45分

りくにすさん、こんばんは~

謙信もそうですね~
いくら病弱とは言え、兄から力づくで当主の座を奪うのですから、女性だったとしたら、それこそ「そうまでして後継ぎたかったの?」って気がしないでもないです。

まぁ、「女だからこそ力づくで奪い取った」と逆の推理も成立ちますが…

投稿: 茶々 | 2012年11月22日 (木) 21時22分

さすがは茶々様、見聞の広いこと。

確かに、女性の更年期障害と同じような症状をうったえる内容の記録があるそうですが、やはりちと難しい説な気がしますよね。

理想の高い、男の中の男を演じ切った人生だったのではないか、という気がします。愛欲にとらわれ、男気に隙が出るのを嫌ったのでは、と。
虚しさは酔で呑みこんで、男気だけの純粋なエロスに浸って...

投稿: ダルタピョン | 2013年4月12日 (金) 19時17分

ダルタピョンさん、こんばんは~

妄想するにはおもしろいですが、やはり、無いでしょうね~

投稿: 茶々 | 2013年4月12日 (金) 23時56分

「上杉謙信は実は女性だった」と言う前提のフィクションで物語が展開された漫画「雪花の虎」が、先日連載終了いたしました。
私は上杉謙信について不思議に思うことに、「殿様としての姿の肖像画を見たことがない」点です。
江戸時代の浮世絵では甲冑姿の絵がありますが、肖像画では殿様姿の物がありません。
一般的には「僧体」としての肖像画しか確認できないのですが、「殿様」としての肖像画(家督を継いで間もない時期など)がもしあるのであればご存知でしょうか?
他の大名級武将にはある「殿様としての姿の肖像画」がないことも、「女性説」の一因かなと思うのです。

投稿: えびすこ | 2020年11月25日 (水) 22時58分

えびすこさん、こんばんは~

私も、あの有名な肖像画しか知らないです。

投稿: 茶々 | 2020年11月26日 (木) 01時16分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上杉謙信・女説:

» 上杉謙信は女性だった?・・・! [つぶやき古道(こみち)]
プロフィールでも紹介しているように私は誕生日が同じなどの理由から好きな歴史上の人物で「上杉謙信」を好きな人としている。言わずと知れた戦国時代に「武田信玄」と並んで最強の武将であり知... [続きを読む]

受信: 2007年2月20日 (火) 13時43分

« 木曽(源義仲)の最期~粟津の合戦 | トップページ | 冥王星と海王星が…逆転? »