日本のスキー発祥は?
明治四十四年(1911年)1月12日に、外国人の指導により日本人が初めてスキーをした事から、今日1月12日は『スキーの日』という記念日だそうです。
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かねてから、冬場の有事の際の、スキーの必要性を考えていた軍は、たまたま前の年の明治四十三年(1910年)・秋に来日したオーストリアの軍人テオドール・フォン・レルヒがスキーの名人だった事から、彼を新潟県の高田・第五十八連隊に派遣・・・と同時に、大急ぎでオーストリア式のスキー10セットを発注。
そして、翌年の明治四十四年(1911年)1月12日・・・連隊から選ばれた14名の精鋭が、レルヒの指導を受けました。
レルヒのスキーは1本杖による滑降で、スポーツというよりは、生活するうえでの実用性を重視したものでした。
レルヒの指導が良かったのか、練習生が頑張ったのか、とにかくその腕前は予想以上に早い上達だったとか・・・。
1ヶ月後の2月11日には、早くも高田近郊の山麓に4キロ程のコースを設け、『第一回・スキー協議会』が開催されています。
その後すぐの2月15日から、やはり高田近郊の金谷山で5日間の『レルヒ・スキー教室』が開かれ、そこには軍人だけではなく、一般市民も参加しました。
その中には、地元の学校の女性教師が二人混じっていて、このお二人が日本女性初のスキーヤーという事になります。
しかも彼女らはその後、自分の生徒たちにも指導しましたから、スキーはまたたく間に一般市民にも普及して行きました。
最初は軍が、その必要性を感じて導入したスキーでしたが、軍よりも、むしろ雪国の一般市民の生活を大転換させたのです。
この現象は、「一般市民、特に婦女子に普及した事で、それまで暗かった雪国の冬に明るさをもたらした」と、大きな話題を集める事となります。
そして、翌年・明治四十五年(1912年)に2月には、『信越スキー倶楽部』なる団体が結成され、その発会式には、あの乃木希典も出席するほどの熱いブームになったとか・・・
その後、レルヒさんは、北海道の第七連隊への配属となり、そこでもスキーの指導にあたり、おおいに活躍されたということです。
現在、かの金谷山・山頂には、『スキー発祥の地』という記念碑が建っているそうです
大阪生まれの大阪育ちで雪に縁がなかった私も、10年間の富山暮らしでけっこうスキーが滑れるようになりました( ̄ー ̄)ニヤリ
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コメント
私の母親が高田の近くの出身(現在の上越市に入る地域)なので、スキーがうまいのです。
来年でちょうど「日本スキー100年」ですね。最近はスキー場に行く人(スキー人口)が少なくて、「スキーに行こう!」と言うCMが減りました。私はスキー未経験者です。
「文明開化」の明治らしい記念日ですね。
投稿: えびすこ | 2010年11月12日 (金) 08時39分
えびすこさん、こんにちは~
最近はスノボードが多いですね。
富山にいた時は、シーズンには週に2~3回言ったりしましたが、今はまったく…です。
投稿: 茶々 | 2010年11月12日 (金) 13時19分