« 七草粥の起源 | トップページ | 本能寺の変と堺の関係 »

2007年1月 8日 (月)

成人式=元服の歴史

 

ハッピーマンデー法とかで、以前は1月15日だったのが、1月の第2月曜日となった“成人の日”・・・

・・・・・・・・・・・・

成人式は言わずと知れた、満20歳に達した人が一人前の大人になった事を祝う儀式・・・昔で言うところの“元服”の儀式です。

最初に登場するのは、元明天皇の和同七年(714年)6月に「皇孫を立てて皇太子となし、元服を加えた」とあります。

この“皇孫”というのは、あの奈良の大仏でご存知の聖武天皇の事です。

神代から古墳時代には、まちまちだったのが、推古天皇の頃から、大人は冠帽をかぶる風習が定着し、幼いときに耳の横で束ねていた髪(よく神話の挿絵などで見られる髪型です)を、冠をかぶるために頭の頂点で結ぶようにする儀式をおこなったのです。

平安時代になると、10歳~15・16歳くらいになった男子が、大人になった事を表すために、着物を着替え、髪を結い、冠をかぶる儀式“元服”あるいは“初冠(ういこうぶり)と呼んで成人を祝いました。

今でもよく耳にする“冠婚葬祭”“冠”は、この“冠”・・・つまり成人式の事です。

平安末期から鎌倉の武士の時代に入ると、冠は烏帽子(えぼし)に代わり、この時、烏帽子をかぶせる人を“烏帽子親”、かぶせられる人を“烏帽子子”と言って、仮の親子の契約を交わすくらいの重要な関係を表す物となります。

武士の力関係が微妙な時ほど“烏帽子親”を誰に頼むかを慎重に考えなければなりませんでした。

もちろん、この時に名前も幼名から元服名に変わります。

Mocc 女性の場合は、今まで垂らしていた髪を後ろで一つに束ね、その上に(も)を着せる事で成人の証しとしました。

室町~戦国時代以降からは、男子は15歳で元服するようになり、烏帽子も廃止され“月代(さかやき)”をあげる・・・つまり前髪を剃る時代劇でお馴染みのヘアスタイルになるのです。

江戸時代には、かなり簡略化されて、よほどの身分の人以外は、前髪を剃るだけの儀式になり、そして、儀式が終った後、父・兄あるいは先輩たちに連れられて遊郭に行く・・・というパターンになってたようですね。

Kougaicc この頃の女性の成人の儀式も髪型が中心で、12~13歳頃に、下ろしていた髪を結い上げる“髪あげ”という儀式が女性の成人式だったようです。

“笄(こうがい)という太い櫛のような棒のようなアレを中心に髪を結い上げるので“初笄(はつこうがい)とも呼ばれていました。

女性の場合は、髪型だけではなく、着物の形式でも違いを表していました。

現在にも残る“振袖”もそうですが、袖の長さだけではなく、幼女の頃は“腋(わき)開き”だった袖を“袖留(そでとめ・わきふさぎ)という儀式で、袖をふさいだ物を着ました。

この儀式も、16歳の時に行われるのが一般的でした。

こうやって見ると、昔の成人式は、だいたい15~16歳で行われていたようですね。

少年による凶悪犯罪が増え、少年法の改正が囁かれる昨今、凶悪犯罪においては18歳と言わず、15~16歳で一人前の責任を取る・・・というのもアリなのではないかと、個人的には思いますが、選挙権は・・・と考えると、また違う年齢が良いのかな?・・・とも考えますね。
 .


あなたの応援で元気でます!

人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ


 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 七草粥の起源 | トップページ | 本能寺の変と堺の関係 »

由来・起源・雑学・豆知識・歴史」カテゴリの記事

コメント

>選挙権は…

私は、簡単な試験をして合格した者にだけ選挙権を認めたほうが良いと思っています。
一国の総理大臣の名前や政党名が答えられない人には、選挙権ナシ!
もちろん、立候補する人もそうです。
イラク問題を論じながらイラクの位置がわからない政治家(←山○一太さん、あなたのことです)に立候補する資格ナシ!

投稿: M.M(仮名) | 2007年1月 8日 (月) 12時07分

MMさん、こんにちは~。

たしかに、ソコんところが民主主義のネックですね。
「投票する側がちゃんとした理念を持っている」という条件のもとに成り立っているのが民主主義ですからね。

極端な話、過半数の人が「服を着なくていい」と思い、それに賛成すれば、「町を裸で歩いていい」事になってしまいますからね。

投稿: 茶々 | 2007年1月 8日 (月) 13時59分

おはようございます。今日は成人の日です。
今年から新成人が全員「平成生まれ」になりました。ただ、いくつかトラブルが起きています。
最近では市町村合併で、自治体の面積が大きくなり、新成人対象者が多くなるので会場が変更と言う事もあるらしいです。

投稿: えびすこ | 2010年1月11日 (月) 09時58分

えびすこさん、こんにちは~

一時は、大荒れだった成人式も、ここのところは平静に行われていると思っていましたが、まだ、トラブってる所もあるんですね~。

運営者側は大変ですね。

投稿: 茶々 | 2010年1月11日 (月) 16時13分

江戸時代は15歳前後で元服ですね。
「江戸時代の15歳は精神年齢が現代人の20代と同じ」だとすると、反対に現代人の20歳は精神年齢が、少なくとも半世紀前の15歳前後にあたるのかな?
現代では身体的には男女とも15歳前後で「成人体格」に到達するみたいですが、最近10年の成人男性の平均身長はやや頭打ちの傾向です。

投稿: えびすこ | 2011年1月10日 (月) 08時38分

えびすこさん、こんばんは~

この間、ある歴史SPでやってましたね。

日本人が背が低くなったのは江戸時代からで、戦国時代は意外に高かったで…

そう言えば、豊臣秀頼も190cm以上、130kgくらいの巨漢だったらしいですもんね。

見た目は、今より、ずっと大人っぽいんでしょうね。

投稿: 茶々 | 2011年1月10日 (月) 22時12分

戦国武将で長身の人物

190cm 藤堂高虎
185cm 真田信之
180cm 前田利家、直江兼続、大野治長
180cm台最上義光
女性では淀殿が160cm台後半です。

豊臣秀頼の体重が本当に力士並みなら、馬に乗れないですね。大河ドラマ等で馬に乗る場面がないのはそのため?果たして今年は誰が演じるか?ちなみに秀頼は10代後半で子供をもうけていますね。
やはり肉を食べないと身長が伸びないのもあって、江戸時代の人が小さいのは運動量の減少もあるようです。

投稿: えびすこ | 2011年1月11日 (火) 08時58分

えびすこさん、こんにちは~

東堂高虎や大野治長の長身は有名ですね。

だからこそ、「秀頼は背の低かった秀吉の子ではない」なんて事も…

投稿: 茶々 | 2011年1月11日 (火) 11時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 成人式=元服の歴史:

« 七草粥の起源 | トップページ | 本能寺の変と堺の関係 »