日本一低い、天保山造成
天保二年(1831年)2月8日、大阪湾にそそぐ安治川の土砂を総ざらえして積上げた天保山が造成されました。
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天保山とは、大阪にある日本一低い山です。
標高4メートル53センチ・・・人工の山という事で、異論は囁かれますが、一応国土地理院発行の地形図に山として名前が載っているので、正式な山とされています。
私が子供の頃はあまり人出も多くなかったですが、現在は海遊館や大観覧車など、一大レジャーゾーンとして大人気!観光名所として、他県のかたでも、その名前はよくご存知でしょう。
もともと、神代の昔は上町台地だけが陸地で、大きな入り江だった大阪の町は、江戸時代になっても、たびたび洪水に悩まされていたんです。
それを、九条島のど真ん中を割って、淀川が直接大阪湾に流れ出るように大工事が行われたのは、貞亨元年(1684年)のこと。
大変な工事でしたが、この安治川の完成は、洪水防止と海運事業へ画期的な影響を与えるものでした。
しかも、続いて行われた土地の造成と新田開発と、あいまって大阪の町はさらに大きく発展する事となります。
しかし、この人工の川はとにかく土砂がハンパなく溜まりまくり・・・
大阪町民は自ら積立金などしながら、幕府の川奉行の監督のもと、定期的に川ざらえをしていましたが、とてもじゃないが、おっつかない・・・。
「一度大工事を・・・」と幕府にお願いしても、幕府はまったくの無策・・・。
たまりかねた住民が自腹を切って下から突き上げ、ようやく幕府が重い腰をあげたのが今日・・・天保二年(1831年)2月8日です。
過去に例の無い大規模な川ざらえには、一般町民をはじめとする延べ10万人が動員され、2年の歳月をかけて完了に至りました。
そして、安治川の河口の南側に頑丈な高さ9メートルの石垣を造り、さらえた土砂を、そこに集めたおかげで、約18メートルほどの盛土となり、合計27メートルのりっぱな山が出来上がったのです。
「船の出入りに格好の目印となる」と人々は大喜びで、この山を最初は『目印山』と呼んでいたのが、いつしか、元号をとって『天保山』と呼ばれるようになりました。
山の少ない大阪にできた新名所。
植えられた桜が花を咲かせる頃には茶店もでき、春は花見、夏は舟遊び、冬は雪見・・・しかも、大阪湾で捕れる新鮮な魚貝類がグルメの舌もうならせます。
まさに、江戸時代の天保山も今のように一大レジャーランドとなっていたのです。
しかし、幕末の元治元年(1864年)、幕府がここに砲台を設置。
さらに、明治五年(1872年)には、その砲台の跡に灯台を造り、加えて明治三十年(1897年)には、大規模な築港工事が行われたために、徐々に削られて形を変えていった天保山。
気付けば、標高4.5メートルの、日本一低い山になってしまっていました。
しかし、日本一は日本一!
たとえ山は低くなっても、平成の世に再び一大レジャーランドによみがえった天保山を見て、江戸の昔に幕府を動かした大阪庶民たちは、大いに拍手を送ってくれている事と思います。
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コメント
こんばんはぁ(^o^)/
日本一低い山ではあるけど町のために今でもおおいに貢献している山なんですね!
前から思っていましたが、イラスト良いですね(^^)
そお② オーロラの由来は全然大した事ではなくて、本人がオーロラを見に行ったことがあるという話を聞いていた人が「じゃあオーロラね」ってゆう一言で決まって広まりました(^_^;)
投稿: 見習い大工 | 2007年2月 8日 (木) 21時37分
見習い大工さん、こんばんは~。
お正月のイノシシのイラストを書いてからちょっと絵を書くことが楽しくなってます。
子供の頃から絵を書くのが好きでしたが、パソコンで・・・というのがなかなか難しく、色々試しながら書いています。
“オーロラ”なんていうあだ名、何かカッコよくてうらやましいので、ちょっと由来が気になってしまいました~。
投稿: 茶々 | 2007年2月 9日 (金) 00時45分