千姫・ご乱行の真相
寛文六年(1666年)2月6日は、あの千姫さんのご命日です。
・・・・・・・・・・・
♪吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖で♪
という歌。
この歌は、2度も夫と死別した千姫が、まだ30歳の女ざかりをもてあまし、吉田御殿と呼ばれた彼女のお屋敷から、男を誘う様子を歌った物だと言われてきました。
千姫は、通りがかりのイケメンをお屋敷に連れ込んではお楽しみ・・・飽きたら惨殺して井戸に投げ込む・・・何度もそんな事を繰り返すうち、御殿のまわりは、雄猫さえも通らなくなったと言います。
ある時、自分の弟子が行方不明になった事を不審に思った大工の棟梁が、御殿に殴りこみ、大騒ぎに・・・この事で、一連のご乱行が発覚する事を恐れた千姫は自ら自害をするのです。
・・・って、これは江戸時代の本に書かれた千姫のご乱行。
でも、皆さんおわかりのように、この話は完全にでっちあげです。
この時、千姫が自害していたなら、当然30歳過ぎで亡くなった事になりますが、実際のご命日は、寛文六年(1666年)2月6日・・・そして、その年齢は70歳です。
では、なぜ?あの徳川家康の孫で二代将軍・秀忠の娘という由緒正しきお姫様に、こんなスキャンダラスな汚名が着せられる事になっちゃったんでしょうか?
千姫と言えば、あの大坂夏の陣(5月8日参照>>)で、燃え盛る大坂城から救い出される名場面を思い起こすかたも多いでしょう。(私もそうです)
千姫は、わずか7歳の時に豊臣秀吉の遺言で、秀吉の息子・秀頼に嫁ぎます。
その時、秀頼は11歳・・・当然、政略結婚です。
やがて、訪れた大坂の夏の陣の時、敵将の妻となっている孫娘を助けたい一心の家康が「千姫を助けた者に、千姫を妻として与える」と言った事に勇気を奮い立たせ、炎の中をくぐり抜け、決死の覚悟で千姫を救出した坂崎出羽守直盛(さかざきでわのかみなおもり)・・・
しかし、その時、大ヤケドを負ってしまった直盛の顔を見て、千姫は結婚を拒否。
江戸城へ帰る途中、見つけたイケメンの本多忠刻(ただとき)と結婚します。
そして、「約束が違う!」と怒った直盛は、将軍命令無視の出社拒否し、当然、その態度に幕府もカンカンで、結局、直盛は切腹し、坂崎家はおとりつぶしに・・・。
一方の千姫も、再婚相手・忠刻が、わずか10年後に死んでしまい、先程のご乱行・・・と、なるのですが・・・。
さすがに、ご乱行は後から付け足されたありえない話だとわかりますが、大坂の陣の救出劇は、昔にドラマを見ていて、私自身けっこう信じてたんです。
子供心に、「命がけで助けてくれた人に、ヒドイ態度をとる千姫さんをイケズなお嬢様・・・」と思ってしまっていました。
しかし、実はこの救出劇も、でっちあげなのです。
大坂城から千姫を救い出したのは、豊臣方の堀内氏久で、救出ではなく、護衛なのです。
落城間近の大坂城内で、城方の大野治長が千姫に、「おじいちゃんに淀君と秀頼の命を助けてくれるように頼んでよ」と頼み、千姫もそれを承諾・・・
そして、自らの意思で、護衛の堀内と一緒に脱出し、一番近くにあった坂崎の陣に向かった・・・というのが、今のところ最も真相に近いようです。
事実、堀内は、最後まで大坂城内で抵抗した豊臣方の武将でありながら、戦後に旗本に取りたてられ、領地も貰っています。
残念ながら、彼女の願いは届かず、淀君と秀頼は自害となってしまいますが・・・。
そして、やがてやって来る本多忠刻との結婚・・・。
これも、彼女の意思ではありません。
この結婚は、忠刻の母親の熊姫が望んだ結婚でした。
実はこの熊姫も、家康の孫・・・。
家康が、織田信長の命令で自害させたとされる長男・信康(11月27日参照>>)の忘れ形見なのです。
熊姫は、あの忠臣・本多忠勝の息子・忠政と結婚し、生まれたのが忠刻でした。
熊姫の狙いは、千姫が持ってくるであろう莫大な持参金と、将軍家との姻戚関係。
(千姫の持参金で建てられたという姫路城の化粧櫓→)
年老いた家康に頼み込んで、息子との結婚を承諾させたのでしょう。
信康の一件もあって、何かと不憫に思う孫娘のお願いを、おじいちゃんは聞いてやりたかったのかも知れません。
・・・がしかし、ここに登場するのが、先程の坂崎さん。
実は熊姫が家康に頼み込む前に、千姫の父・秀忠が京都の公家に顔の広い坂崎に「千姫の再婚相手を探してくれ」と頼んでしまっていて、ある公家との結婚の話がほぼ決まっていたのです。
それが、突然、熊姫からの横やりが入って、あれよあれよと言う間に、本多忠刻との結婚が決まってしまったのです。
お公家さんとの結婚を蹴って、急に決まった忠刻との結婚を世間に納得させるには、「この結婚は、千姫様がお望みなのだ」という噂を流す事・・・。
その噂は、熊姫が流したのか、はたまた家康か秀忠か・・・それは、わかりませんが、とにかく「千姫が、忠刻を好きで好きでたまらないから・・・」となると、「ご本人がそうなら、しかたがないなぁ」と、なるわけです。
しかし、納得いかないのは、坂崎・・・。
・・・で、先程の出社拒否となるのですが、この時も幕府は、「騒動を起こしたため本人の処分は免れないが、直盛が切腹したなら、坂崎家の家名は守る」と言っていたのです。
しかし、直盛は切腹する気配が無かったので、見かねた家臣が、酔っ払って寝ている直盛を殺害し、切腹したように見せかけたのですが、この事が後で発覚し、坂崎家は取り潰しになってしまうのです。
・・・で、こんな、ゴタゴタまで起こして結婚した忠刻と千姫でしたが、二人は意外に仲睦まじく、波乱の人生を歩んできた千姫も、ここでは心休まる日々を過ごしたようです。
しかし、その忠刻は結婚10年後にあっけなく死んでしまいます。
持参金を手にして姫路城に立派な櫓(やぐら)(2009年2月6日参照>>)を造る事はできましたが、熊姫が本当に望んだ徳川の血を引く世継ぎが生まれる事は無かったのです。
・・・で、後に残ったのは、千姫のウ・ワ・サ・・・
いつしか、「忠刻が好きで好きでたまらない」という所の忠刻が男に変っちゃったんですね~。
ゴシップ好きの江戸庶民が、次から次へと尾ひれをつけてしまった結果が、冒頭に書いたご乱行・・・
実際の千姫さんは、忠刻の死後、仏門に入り、質素な余生をおくられ、70歳でこの世を去りました。
しかも、そこには、あの大坂城内での平和な日々に、実子のように可愛がっていた秀頼の側室の娘との、不思議なえにしを感じさせる逸話もあります(そのお話は2008年5月8日のページでどうぞ>>>)。
*千姫にまつわるお話もある【姫路城の七不思議】もどうぞ>>
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コメント
憐れや、千姫って感じですね。
最近読んだ『淀殿』(福田千鶴著)によると、千姫は慶長17年(1612)に鬢除ぎの儀(女子の元服式にあたる)を行っています。
婚約者か父兄が鬢の先っぽを切りそぐ儀式だそうで、碁盤の上に千姫を立たせて、秀頼が刀で少しだけ切り初めたのだとか―
まるで、光源氏と若紫(紫の上)のシチュエーションですね(笑)
こうして、晴れて男女の仲になったけど、ほぼ3年程の新婚生活だったんですよね(泣!)
投稿: 御堂 | 2007年2月 7日 (水) 00時55分
壮絶な人生でしたね千姫。
政略結婚恐るべし。
でも、それでも幸せになっている人もいますし、
政略結婚は100%幸せになれない訳でもないと思うのですが、
まあ 現代も若干ある訳ですが。
ちなみにさときちは政略結婚できるだけの地位も財力もありません。
誰かもらって下さい。(必死w)
投稿: さときち | 2007年2月 7日 (水) 01時00分
御堂さん、こんばんは~。
>慶長17年(1612)に鬢除ぎの儀を行っています
そうなんですか?
本当のご夫婦になった時期は、以外に少なかったんですね。
この時代は女性の気持ちは“関係なし”ですからね。
熊姫さんが、“冬彦さんの母”みたいになっちゃったのも、「もう生きる希望は息子だけ・・・」って感じなんでしょうかね?
投稿: 茶々 | 2007年2月 7日 (水) 01時32分
さときちさん、こんばんは~。
ままごとみたいな結婚でしたが、千姫さんは、けっこう秀頼さんの事が好きだったのではないか?と私は思ってます。
ま・・やらしい話ですが、お金は沢山あったわけですしね。
あっ、実家もお金持ちだから、あんまりごだわらないか・・・。
投稿: 茶々 | 2007年2月 7日 (水) 01時40分
千姫も坂崎出羽守も気の毒でなりませんが、コレ、ドラマにしたら面白そうだなーとも思いました。
熊姫と坂崎出羽守の頭脳戦をメインに、大衆がいかにして千姫を悪女に仕立て上げていったのかをじっくりと描いたら、かなり硬派な内容になると思ったのですが、どうでしょう(笑)
(千姫が空気になる恐れがありますが…(汗))
投稿: ヤマアラシ | 2016年12月 9日 (金) 23時17分
ヤマアラシさん、こんばんは~
>コレ、ドラマにしたら面白そうだなー…
確かに…
「これは小説ですよ」と言って出版したにも関わらず、ベストセラーになって映画になってドラマになって…その中でどんどんとあらぬ方向へ行ってしまう
みたいなのを、ちょっとサスペンス交えて進めて行くと、スゴイ事になるやもしれませぬ(゚ー゚;
投稿: 茶々 | 2016年12月10日 (土) 02時47分