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2007年2月 3日 (土)

節分・豆まきの起源と鬼

 

2月3日は節分・・・

焼いたイワシの頭をヒイラギに刺し玄関に飾り、年の数だけ豆を食べ「鬼は外~福は内~」と豆をまく・・・

私の子供の頃は関西だけだった「巻き寿司のまるかぶり」の風習も、昨今の寿司業界の努力で、どうやら、恵方巻きという名前で全国ネットになりつつあるようです。

多の地方のかたは、あまりご存知ないようなので、少し付け加えさせていただくと、この「巻き寿司のまるかぶり」、その年の恵方(今年は北北西らしい)を向いて食べるのですが、1本丸ごと食べ終るまで、しゃべってはいけない事になってますから気をつけてね。

ちなみに、恵方は・・・
北北西=2007年・2012年・・・
南南東=2008年・2013年・・・
東北東=2009年・2014年・・・
西南西=2010年・2015年・・・
南南東=2011年・2016年・・・
・・・と、くりかえしで巡っていきます。

・‥…━━━☆

本来、節分とは、季節の変わり目を指す言葉で、春夏秋冬・年4回ありますが、今は「節分」と言えば春・・・立春の前の日の事を言うようになりました。

旧暦では元日~7日頃、新暦では2月3日4日になります。

もともとは、宮中で大晦日に厄を祓って新年を迎える儀式を節分と言いました。

「季節の変わり目には、に象徴される「悪」「厄」が生活の中に入りやすい」という考えは古来からあって、これを追いはらうのが「鬼やらい」つまり「豆まき」です。

豆は鬼の眼を打ち、イワシの頭はその臭いで鬼を寄せ付けないと考えられました。

Dscn4740acc 奈良時代、文武天皇の慶雲三年(706年)に諸国に疫病が流行したので、鬼儺(おにやらい)の儀式を行ったのが起源とされていますが、「豆まき」としては、平安時代の宇多天皇の頃(887年~897年)に「鞍馬山の奥の僧正ヶ谷(←写真)に住んでいた鬼が、都に乱入しようとしたので、豆を投げ鬼の眼を潰して回避した」と言われています。

やがて室町時代には、現在のように「鬼は外~福は内~」と唱えながら豆をまく・・・という形になります。

江戸中期頃には社寺の行事として行われ、浅草観音では、朝早くから豆をまく事のできる「整理券」を求めて参拝客が殺到し、「人の手、武蔵野の尾花(ススキ)のごとし」と称された程でした。

また、この頃からは、社寺や公的な場所だけではなく、広く民間&個人で「豆まき」が行われるようになります。

明治維新になって、少し低迷しましたが、明治時代の後期には再び復活し、現在のように盛んになるのです。

ところで、節分の日に全国一斉に豆をまかれて追っ払われてしまう「鬼」ですが・・・悪の権化のように思われるも、実のところ仏教一色になる前の古代の日本では、それほど悪いキャラでは無かったのです。

Oni1cc もともと「オニ」という言葉は「オン(陰)という言葉が変化した物だと考えられていて、形の見えない霊のような存在「鬼(オニ)と呼んでいました。

日本古来の山岳信仰では、人が死ぬとその霊が山に留まり、山の神様となる・・・どちらかと言うと、自分たちを守ってくれるご先祖の霊が鬼だったのです。

しかし、ご先祖様の霊をないがしろにすると、それは逆に怨霊となって災いをもたらします。

そんな両面を持っていた鬼が、仏教の伝来とともに、地獄の鬼のイメージと重なり、恐ろしい部分だけが印象付けられ、「悪=鬼」という構図になったのではないか?という事です。

また鬼は、正月に訪れる「年神」の一種ではないか?とも言われています。

年神」というのは、お正月に幸福をもたらす為にやって来る神様で、その年の恵方(年神様がやって来る方角)へ向けて、神棚やしめ縄、お神酒や鏡餅などを飾ってお迎えするのです。
もちろん門松もこの飾りの一つです(12月20日参照>>)

小正月に、これらの飾りを燃やす「とんど焼き(ドンド焼き、左義長と言ったりもします)のような火の祭りが行われるのは、これらの神様が帰って行くのを見送る・・・という意味が込められているという説もあります(1月14日参照>>)

「鬼=神様」という事に違和感を感じるかたは、有名な秋田の「なまはげ」を思い出してみて下さい。

「なまはげ」は、鬼のような風貌に包丁などを持っていかにも怖そうですが、訪問された一家の主は、正装してお酒をサービスして出迎え、明らかに訪問を喜んでいます。

鬼も「なまはげ」も、一家に幸福をもたらしてくれる神様なのです。

そんな中で、昔はこのお正月に神様を迎える行事は、一年の厄を祓う節分行事とワンセットになって、一緒に行われていたのです。

ところが、いつの程からか、これらの行事が別々に行われるようになり、厄祓いを担当させられちゃったのが、鬼・・・という事です。

ご先祖様にしても、年神様にしても、どちらにしても、昔の鬼は、今のような悪のイメージは無かったようです。

今でも、鬼は一年の厄を祓ってくれる良い存在・・・豆は退治するためではなく、お供え物として捧げる・・・という考えかたが、残っている場所もあるようですよ。
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コメント

 茶々さん、こんばんは!

 急な出張でご無沙汰しておりました(汗)。

 おっしゃるとおり、「恵方巻き」は最近ブーム(?)のようですね~。

そういえば、昨日あるコンビニの前で、二人の女子高生が太巻きを「半分」にしてゲラゲラ笑いながら楽しそうに食べていました(笑)。
かなり目立っていたので、周囲の注目の的でしたよ。 作法は??のようでしたが、なんか楽しそうだし若いし・・・
私も昨日は太巻きにかぶりつきましたよ~(笑)。

投稿: ルーシー | 2007年2月 4日 (日) 21時22分

ルーシーさん、こんばんは~。

UFO出現以来、更新がないなぁ~と思っていたら、出張だったんですね。
お疲れさまでした・・・。

そうですね。
最近は「恵方巻き」って言うんですね。
ここ2~3日のブログにも「恵方巻き」のタイトルのついた記事をよく見かけました。

全国ネットになる前は、「巻き寿司まるかぶり」でしたよ。
呼び方もおしゃれになるもんですね~全国ネットは・・・

投稿: 茶々 | 2007年2月 4日 (日) 23時59分

個人的に、節分の「鬼」はそんな悪いものではなく、下級の神様だと思っています。

妖怪といってもいいのですが、日本の八百万の神々の世界は、人間が崇める上級の神様と、妖怪といってもいいいたずらをする下級の神様がいるというのが、個人的なイメージです。

初詣のお賽銭とか節分の豆まき、お神輿なんかのまわりにも米や水をまく民俗がありますけど、これらは「投げる」という共通点があり、これは下級の神様に対するお供えなんじゃないかと思います。

上級の神様に対しては仰々しくお供えをしますけど、下級の神様に対しては、豆あげるから、おとなしくしててと、たしなめるようなことなのではないかと思うのですよね。

投稿: 黒駒 | 2011年1月10日 (月) 03時50分

黒駒さん、こんばんは~

現在「鬼」と称される者には、黒駒さんがおっしゃるようなもののけのような鬼と、現在に通じる日本民族に征服されたまつろわぬ民とが入り乱れているような気がします。

それらの違いを追及していくのも楽しいかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2011年1月10日 (月) 22時08分

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2月3日は節分(せつぶん)です。季節を分けると書くように、元々は立春、立夏、立秋、立冬の前日を節分と言いましたが、現在では立春の前日の節分だけが残っています。 [続きを読む]

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