« 京都で日本初の路面電車 | トップページ | 節分・豆まきの起源と鬼 »

2007年2月 2日 (金)

藤原頼通と平等院と末法

 

承法元年(1074年)2月2日は、藤原頼通さんのご命日です。

頼通さんと言えば、宇治・平等院・・・て事で、今日は頼通さんと平等院について・・・。

・・・・・・・・

関白・藤原頼通(よりみち)は、あの栄華を極めた藤原道長(12月4日参照>>)の息子。

今思えば、道長と頼通の時代こそが、藤原氏が最も栄華を極めた時代と言えます。

もともと、平等院のある場所には左大臣・源融(みなもとのとおる)という人の別荘がありました。

その別荘を父・道長が譲り受けて拡張工事でメチャメチャでっかくして、その道長が亡くなった後、後継者である息子・頼通が、政権とともに別荘も引き継いだのです。

そして、永承七年(1052年)に、建物を本堂とし寺院に造り変え、翌年3月4日阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が完成したのです。

この阿弥陀堂が、鳳凰堂と呼ばれている建物です。

Byoudouin22cc

・・・で、何でこの年に建てたかと言いますと、この年が末法第一年に当たる年だから・・・。

末法第一年ってナンジャラホイ?と思ってしまいますが、とにかく、この時代、浄土教「末法思想」が大ブーム・・・ノストラダムスの比じゃありません。

「お釈迦様が亡くなって2千年が経つと、仏教の教えがすたれ、天災や戦争などの不幸が続く、『末法の世』なってしまう。1052年がその『末法の世』の第一年である。」というのです。

栄華を極めた頼通さんが、「そんなん怖いんか!贅沢な!」って思ってしまいますが、本当に怖がってたみたいですよ。

「平安貴族の生活って、寝殿造りのお屋敷に住んで、贅沢三昧でうらやましい」と思いがちですが、実はそんな華やかな生活の影で、この時代は、徐々に力をつけてくる武士たちの反乱や、天災・疫病という物に、常におびやかされていた時代でもあったのです。

実際に、「末法の世」の前兆のような事件や災害が起こると、「本当に、そんな世が来るんだ・・・」という思いにかられ、お金で解決できなないそれらの物に、底知れぬ恐怖を感じていたんですね。

浄土教の教えによれば「現世で阿弥陀仏の心に念じれば、来世は極楽浄土へ行ける。そうでなければ地獄に堕ちる」のだそうで、頼通さんに限らず貴族たちは、こぞって阿弥陀堂を建て、そこに阿弥陀仏を安置し、念仏を唱えて「とにかく来世の幸福を・・・」と願ったのです。

この「末法思想」のブームの影響で、常に不安にかられた貴族たち・・・何かあると、儀式お祓い

さらに、この先に何かあっても困るので、陰陽道占い・・・といった物にハマリまくりの生活を送るのです。

「やれ、方角が悪い」「やれ、今日は人と会ってはいけない」のと、、占いで一日の生活ペースが乱れること山のごとし。

「今日は運勢が悪いので、仕事休みます~」って、これで叱られる事もなく休めちゃうくらい、宮廷のみ~んなが、占い信じちゃってますから・・・。

・・・、こうなると、やる事やっちゃいけない事があまりにありすぎて、中には忘れてしまう人も登場します。

それで、ある人がお坊さんに頼んで「占いカレンダー」なる物を作ってもらって、毎日その通りに暮らしていたんだそうです。

「ふんふん・・・今日は爪を切ってはいけない日か~」
「ほほ~今日は道を曲がってはいけない日なのね。じゃ、まっすぐまっすぐ行きましょ!」
・・・てな、調子です。

しかし、ある時「えっ?」と思う日が・・・。

「風呂に入ってはいけない日」「絶食の日」「満腹になるまで食べる日」などは、何とかなりますが・・・とうとうやって来ちゃいました「大○も小○もしてはいけない日」

それも、一日ではなく、何日か続いていたんだとか・・・でも、この人は我慢したそうですよ(ホントかなぁ~)

でも、これらの、人間の生理的な自然現象を我慢したりする事は、現在の医学から見ればあまり体に良くない事は明白。

しかも、不安にかられる生活はストレスたまりっぱなし・・・で、結局、都に住む貴族たちは軟弱になっていき、地方に住む武士たちが力をつけていく・・・という構造に拍車をかけたのは確かですね。

「平等院で地上の極楽を表現した」という頼通さん、承法元年(1074年)2月2日にお亡くなりになりましたが、どうでしょうか?

その後、無事、極楽に行かれたんでしょうか?

平等院への行き方はホームページの【宇治歴史散歩】でどうぞ>>
 .

あなたの応援で元気でます!

    にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

 


« 京都で日本初の路面電車 | トップページ | 節分・豆まきの起源と鬼 »

平安時代」カテゴリの記事

コメント

茶々さん、どーもです。トラックバックありがとうございましたって事で、こちたもTBさせてもらいますね。

そうそう、今日が命日なんですよね。(すっかり忘れてました…)来月の関白忌の方に頭がいってたので…(笑)

投稿: 御堂 | 2007年2月 2日 (金) 07時20分

御堂さん、こちらこそ、お心遣いありがとうございます(#^o^#)

投稿: 茶々 | 2007年2月 2日 (金) 09時08分

茶々さん、こんばんは。

以前、富山に住んでいた頃、奈良まで旅行をした帰りに、宇治に立ち寄り、平等院に行きました。

それまでは、10円玉と日本史の教科書でしか、知らなかった平等院。
鳳凰堂(阿弥陀堂)と阿弥陀如来が、自分が想像していたよりも大きかったのに、驚いた記憶があります。
ゴールデンウイークの連休を利用した旅行で、境内には藤の花が咲き誇り、藤の写真を撮りに来たカメラマンも多くいました。
宇治川に面した平等院は、さながら極楽浄土の趣でした。

頼通さんは、末法の世だからこそ、平等院をこの世での極楽にしたかったのでしょうね。

もう一度、訪ねてみたいところです。

投稿: 拓庵 | 2007年2月 3日 (土) 21時55分

拓庵さん、こんばんは~。

記事中の写真は、昨年平等院に行った時の写真なんですが、その時も藤とつつじが真っ盛りでとてもキレイでした。

正面の池から見た姿は、本当に息を呑む美しさですよね。
まさに、この世の極楽浄土です。

権力を握った人ほど、「末法の世」的な物に恐怖を感じるのかも知れませんね。

投稿: 茶々 | 2007年2月 4日 (日) 00時45分

「藤原頼通」で検索してみたけど
今現在、なんと少ないことか。
もっと、プッシュしていこうぜ。
個人的にオレかなりの、頼通ファン
なんだよ。

投稿: あさだ | 2008年10月11日 (土) 23時08分

あさださん、コメントありがとうございます。

>「藤原頼通」で検索してみたけど今現在、なんと少ないことか・・・

そうなんですか?

それは、プッシュしないと・・・最近は、歴史がブームなのか、テレビでも歴史番組が増えてうれしい毎日です。

投稿: 茶々 | 2008年10月11日 (土) 23時55分

平等院は中学生の時に見ました。修学旅行の宿舎の近くでした。その時は「駅伝的」にしか京都洛中を見ていないので、いつか重点的に見たいです。金閣寺も見ました。

投稿: えびすこ | 2010年12月21日 (火) 08時56分

えびすこさん、こんにちは~

平等院は、いつも修学旅行生や遠足でにぎわってますね~
金閣寺も…

まぁ、私も遠足でいきましたが…

投稿: 茶々 | 2010年12月21日 (火) 13時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 藤原頼通と平等院と末法:

» 世紀末と末法思想 [歴史~とはずがたり~]
よく「世も末だね」と言ったりします。 21世紀になった現在、私たちの周りでは理不尽で何ともやりきれない事件が相次いでおり、まさにこの言葉が当てはまるよう気がしてなりません。 仏教における歴史観に「末法(まっぽう)思想」があります。終末期観念の仏教版ですね..... [続きを読む]

受信: 2007年2月 2日 (金) 07時10分

« 京都で日本初の路面電車 | トップページ | 節分・豆まきの起源と鬼 »