藤原頼通と平等院と末法
承法元年(1074年)2月2日は、藤原頼通さんのご命日です。
頼通さんと言えば、宇治・平等院・・・て事で、今日は頼通さんと平等院について・・・。
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関白・藤原頼通(よりみち)は、あの栄華を極めた藤原道長(12月4日参照>>)の息子。
今思えば、道長と頼通の時代こそが、藤原氏が最も栄華を極めた時代と言えます。
もともと、平等院のある場所には左大臣・源融(みなもとのとおる)という人の別荘がありました。
その別荘を父・道長が譲り受けて拡張工事でメチャメチャでっかくして、その道長が亡くなった後、後継者である息子・頼通が、政権とともに別荘も引き継いだのです。
そして、永承七年(1052年)に、建物を本堂とし寺院に造り変え、翌年3月4日に阿弥陀如来を安置する阿弥陀堂が完成したのです。
この阿弥陀堂が、鳳凰堂と呼ばれている建物です。
・・・で、何でこの年に建てたかと言いますと、この年が末法第一年に当たる年だから・・・。
末法第一年ってナンジャラホイ?と思ってしまいますが、とにかく、この時代、浄土教の「末法思想」が大ブーム・・・ノストラダムスの比じゃありません。
「お釈迦様が亡くなって2千年が経つと、仏教の教えがすたれ、天災や戦争などの不幸が続く、『末法の世』なってしまう。1052年がその『末法の世』の第一年である。」というのです。
栄華を極めた頼通さんが、「そんなん怖いんか!贅沢な!」って思ってしまいますが、本当に怖がってたみたいですよ。
「平安貴族の生活って、寝殿造りのお屋敷に住んで、贅沢三昧でうらやましい」と思いがちですが、実はそんな華やかな生活の影で、この時代は、徐々に力をつけてくる武士たちの反乱や、天災・疫病という物に、常におびやかされていた時代でもあったのです。
実際に、「末法の世」の前兆のような事件や災害が起こると、「本当に、そんな世が来るんだ・・・」という思いにかられ、お金で解決できなないそれらの物に、底知れぬ恐怖を感じていたんですね。
浄土教の教えによれば、「現世で阿弥陀仏の心に念じれば、来世は極楽浄土へ行ける。そうでなければ地獄に堕ちる」のだそうで、頼通さんに限らず貴族たちは、こぞって阿弥陀堂を建て、そこに阿弥陀仏を安置し、念仏を唱えて「とにかく来世の幸福を・・・」と願ったのです。
この「末法思想」のブームの影響で、常に不安にかられた貴族たち・・・何かあると、儀式やお祓い。
さらに、この先に何かあっても困るので、陰陽道や占い・・・といった物にハマリまくりの生活を送るのです。
「やれ、方角が悪い」の「やれ、今日は人と会ってはいけない」のと、、占いで一日の生活ペースが乱れること山のごとし。
「今日は運勢が悪いので、仕事休みます~」って、これで叱られる事もなく休めちゃうくらい、宮廷のみ~んなが、占い信じちゃってますから・・・。
・・・、こうなると、やる事やっちゃいけない事があまりにありすぎて、中には忘れてしまう人も登場します。
それで、ある人がお坊さんに頼んで「占いカレンダー」なる物を作ってもらって、毎日その通りに暮らしていたんだそうです。
「ふんふん・・・今日は爪を切ってはいけない日か~」
「ほほ~今日は道を曲がってはいけない日なのね。じゃ、まっすぐまっすぐ行きましょ!」
・・・てな、調子です。
しかし、ある時「えっ?」と思う日が・・・。
「風呂に入ってはいけない日」「絶食の日」「満腹になるまで食べる日」などは、何とかなりますが・・・とうとうやって来ちゃいました「大○も小○もしてはいけない日」!
それも、一日ではなく、何日か続いていたんだとか・・・でも、この人は我慢したそうですよ(ホントかなぁ~)
でも、これらの、人間の生理的な自然現象を我慢したりする事は、現在の医学から見ればあまり体に良くない事は明白。
しかも、不安にかられる生活はストレスたまりっぱなし・・・で、結局、都に住む貴族たちは軟弱になっていき、地方に住む武士たちが力をつけていく・・・という構造に拍車をかけたのは確かですね。
「平等院で地上の極楽を表現した」という頼通さん、承法元年(1074年)2月2日にお亡くなりになりましたが、どうでしょうか?
その後、無事、極楽に行かれたんでしょうか?
平等院への行き方はホームページの【宇治歴史散歩】でどうぞ>>
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コメント
茶々さん、どーもです。トラックバックありがとうございましたって事で、こちたもTBさせてもらいますね。
そうそう、今日が命日なんですよね。(すっかり忘れてました…)来月の関白忌の方に頭がいってたので…(笑)
投稿: 御堂 | 2007年2月 2日 (金) 07時20分
御堂さん、こちらこそ、お心遣いありがとうございます(#^o^#)
投稿: 茶々 | 2007年2月 2日 (金) 09時08分
茶々さん、こんばんは。
以前、富山に住んでいた頃、奈良まで旅行をした帰りに、宇治に立ち寄り、平等院に行きました。
それまでは、10円玉と日本史の教科書でしか、知らなかった平等院。
鳳凰堂(阿弥陀堂)と阿弥陀如来が、自分が想像していたよりも大きかったのに、驚いた記憶があります。
ゴールデンウイークの連休を利用した旅行で、境内には藤の花が咲き誇り、藤の写真を撮りに来たカメラマンも多くいました。
宇治川に面した平等院は、さながら極楽浄土の趣でした。
頼通さんは、末法の世だからこそ、平等院をこの世での極楽にしたかったのでしょうね。
もう一度、訪ねてみたいところです。
投稿: 拓庵 | 2007年2月 3日 (土) 21時55分
拓庵さん、こんばんは~。
記事中の写真は、昨年平等院に行った時の写真なんですが、その時も藤とつつじが真っ盛りでとてもキレイでした。
正面の池から見た姿は、本当に息を呑む美しさですよね。
まさに、この世の極楽浄土です。
権力を握った人ほど、「末法の世」的な物に恐怖を感じるのかも知れませんね。
投稿: 茶々 | 2007年2月 4日 (日) 00時45分
「藤原頼通」で検索してみたけど
今現在、なんと少ないことか。
もっと、プッシュしていこうぜ。
個人的にオレかなりの、頼通ファン
なんだよ。
投稿: あさだ | 2008年10月11日 (土) 23時08分
あさださん、コメントありがとうございます。
>「藤原頼通」で検索してみたけど今現在、なんと少ないことか・・・
そうなんですか?
それは、プッシュしないと・・・最近は、歴史がブームなのか、テレビでも歴史番組が増えてうれしい毎日です。
投稿: 茶々 | 2008年10月11日 (土) 23時55分
平等院は中学生の時に見ました。修学旅行の宿舎の近くでした。その時は「駅伝的」にしか京都洛中を見ていないので、いつか重点的に見たいです。金閣寺も見ました。
投稿: えびすこ | 2010年12月21日 (火) 08時56分
えびすこさん、こんにちは~
平等院は、いつも修学旅行生や遠足でにぎわってますね~
金閣寺も…
まぁ、私も遠足でいきましたが…
投稿: 茶々 | 2010年12月21日 (火) 13時38分