赤報隊・相楽総三、 諏訪に散る
慶応四年(明治元年・1868年)3月3日、赤報隊の一番隊長・相楽総三が下諏訪にて処刑されました。
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慶応二年(1866年)それまで敵対していた薩摩と長州が薩長同盟を結んだ(1月21日参照>>)事によって、時代は一気に維新へと進みはじめます。
新しい時代への期待と不安が入り乱れ、各地には一揆や打ちこわしが起こり、翌年の慶応三年という日本の一大転換期を迎えます。
この年の7月に愛知から始まった【ええじゃないか】(7月15日参照>>)の大騒ぎが徐々に各地へ広がる中、
10月には大政奉還(10月14日参照>>)、
12月には王政復古の大号令(12月9日参照>>)と、
表向きは武力に走る事なく時代が変っていくかに見えました。
しかし、このまま武力無しで、維新が進んで行けば、「幕府は細々とでも生き残り、いつかまた力をつけるかもしれない」と考えた薩摩の西郷隆盛らは、何とか武力に持ち込んで、この機会に徹底的に徳川をぶっ潰そうとします。
・・・かと言って、薩摩から幕府に兵を挙げれば、即・謀反となりますから、幕府のほうから攻撃を仕掛けさせなかれば・・・。
幕府のほうから行動を起こさせるために、西郷らは関東の各地で兵を挙げさせたり、旗本を襲わせたりと、社会を不安に走らせるテロ行為を頻繁に起こさせました。
結局この行為に我慢しきれなかった幕府は、薩摩の思惑通りに江戸薩摩藩邸を焼き討ちし(12月25日参照>>)、翌年の慶応四年(明治元年・1868年)の正月には、鳥羽伏見の戦い(1月3日参照>>)へと突入するのですが、この時のテロ行為を行っていた薩摩屋敷の浪士隊の中心人物が相楽総三(さがらそうぞう)だったのです。
そして、戊辰戦争の最初の衝突であつ鳥羽伏見の戦いがおさまった正月8日に、総三は維新政府に対して建白書を提出します。
その中には「新政府の人気を得るためには、これまでの年貢を半減にすべきである」という内容が書かれていたのです。
「これは農民の心をつかんだ意見である」と、西郷隆盛や岩倉具視の指示を得て、「租税半減」の命令が下り、ここに、総三を隊長とする『赤報隊』が結成されるのです。
滋賀県の金剛輪寺にて旗揚げをし、「赤心(まごころという意味です)を持って国に報いる」という事から名前を付けた赤報隊は、先ほどの「租税半減」をスローガンに掲げ、官軍の先発隊として中仙道を東へ進んで行きます。
中仙道に点在する村々の民衆にとっては、あの「ええじゃないか」の騒ぎの後にやってきた赤報隊は、まさに農民の味方!彼らは、庶民のハートをがっちりキャッチする事に成功します。
しかし、鳥羽伏見から始まった戊辰戦争・・・。
当然の事ながら、維新政府の財政は苦しくなります。
三井などの豪商から借金を重ねるうち、その見返りとしての年貢米の重要性が高まってきます。
・・・と、ここで新政府はいきなり方針転換!
先の「租税半減」の約束を取り消してしまうのです。
そして、「租税半減」のスローガンを掲げていた赤報隊の事を、『官軍ノ名ヲ偽リ、無頼賊徒ノ所業』と発表。
つまり、「租税半減」は相楽総三らが勝手に触れ回った事で、彼らはニセの官軍であり、悪人の集まりである・・・と、したのです。
それは、結成からわずか20日の、1月29日の事でした。
しかし、これは西郷さんの最初っからの計画通りかも・・・なぜなら、維新政府の財政を見れば、年貢の半減なんて実現できるかどうか、はなから見当がついていたはずでしょう。
この事を裏付けるかのように、維新政府は、最初っから正式な書類は一切作らず赤報隊が官軍である証拠となる物を書面として残さなかったのです。
そして、慶応四年(明治元年・1868年)3月3日、「にせ官軍」のレッテルを貼られた相楽総三は下諏訪で捕えられ、仲間であったはずの維新政府によって処刑されるのです。
これは、もちろん先に書いた財政の事と、もう一つ、あまりにも民衆の心を掴み過ぎた事による警戒心も含まれているものと思われます。
それにしても、ちまたには相楽総三さんに関する資料が少ない気がするのですが・・・どうなんでしょう?
維新政府がすべてを揉み消してしまったのでしょうか?
それとも、私が見つけられないだけなのかしら?
とにかく、後の世になって「にせ官軍」の汚名だけは晴らせたようなので、少しは心救われますが、幕末に散った志士の中では特に悲しみを感じさせられる人物です。
赤報隊のイメージで書いてみました~
赤報隊・相楽総三のイメージでどんなんだろう?相楽さんの顔は知らないし、花に例えると・・・最初はパッと咲いてパッと散る桜かなぁ~なんて思ったりもしましたが、やはり1月に咲いて3月に散る・・・真紅の落ち椿のイメージではないかと・・・こんな感じの絵を書いてみました・・・
★よろしければ、相楽総三中心に書かせていただいた2010年3月3日のページ【赤報隊・相楽総三 諏訪に散る2】もどうぞ>>
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