埴輪の使用目的は?
大化二年(646年)3月22日、大規模なお墓の建設や、家来などの殉死を禁止する法律=薄葬令が発布されたそうですが、大規模なお墓と言えば、仁徳天皇陵などに代表される巨大古墳を思い出しますね。
・・・って事で、今日は巨大な古墳のお話を・・・
・・・・・・・・
仁徳天皇陵の大きさは全長486m、10tトラックで25万台分の土が使われているとの事。
昔と同じ方法で今造るとしたら、工事期間は約15年、総動員数680万人、費用は796億円かかると言われています。
現代の最新ユンボを使って建造したとしても2年半かかり、人員は2万人と少ないものの、費用は20億円はかかるそうです。
仁徳天皇陵に使用された埴輪の制作費だけでも、手づくりなら60億円、機械で大量生産しても16億円くらいかかるだろうと言われています。
やはり、この大きさは「権力の証し」って事だったんですかね。
ところで、古墳に大量に並べられた埴輪・・・この埴輪が、殉死者の代用だったというのは本当なんでしょうか?
『日本書紀』によりますと、垂仁天皇の二十八年。
天皇の弟・倭彦命(やまとひこのみこと)が亡くなり、身狭桃花坂(むさのつきさか)に葬られた時、やはり、何人かの近親者や家来が、陵域に生きながら埋められ、殉死させられました。
それからしばらくの間、昼も夜も泣き叫ぶ声が聞こえたため、天皇は今度、皇后の日葉須媛(ひばすひめ)が亡くなった時は、もう殉死をやめて、何かそれに代わる方法をと考えます。
側近の野見宿禰(のみのすくね)が提案するには、「出雲から土師部(はじべ)を呼び寄せ、埴土で人や馬など、様々な物を造らせて、これを代わりにしましょう」との事。
この意見が採用され、この土物(はに)を「埴輪」と呼ぶ事にしよう・・・となった、というものです。
しかし、考古学の検知から見ると、この記述は時代があわないのだそうで、このお話は、天皇がやさしい人だという事と、土師(はじ)氏の活躍を語りたいがための創作であると考えられています。
今では、埴輪は供物用の土器が進化した物ではないか?というのが一般的なようです。
供物を入れるための器に様々な「かざり」をつけているうちに、人や馬の形のなり、さらに「かざり」の方が重要視されるようになったと言うのです。
後期の古墳にある埴輪の並びかたを見てみると、供献や葬送儀礼に反する並べ方がされている物が多々あるそうで、おそらく、最終的には単なる古墳の「かざり」であったのだろう、という事です。
それにしても、「魏志倭人伝」の「邪馬台国」から「大和政権」が確立するまで・・・この歴史が空白になっている4世紀に、突如として現れる巨大古墳たちは、何やらその間のミステリーの謎解きのヒントを提示してくれているかのようですね。
ただ、古墳の中でも天皇陵とされる物は、宮内庁の管理下にあるため、学術的な調査ができないのが歴史好きとしては残念な気がしますが、よく考えれば、御先祖様のお墓をあばくわけですから、やはり、ご子孫のかたの賛成なしには、ムリという物でしょうね。
つい最近、大規模な石組みが発見された大阪・高槻市の今城塚古墳。
ここは、「真の継体天皇陵」と囁かれていますが、宮内庁がこの近くにある茶臼山古墳を継体天皇陵としているため、逆に、今城塚古墳のほうは発掘調査が可能となり、考古学者の方々はわくわくしながら調査なさってるようですね。
新たな発見に期待します。
HPでは、古墳の種類や造り方についてビジュアルでわかりやすく解説しています。
よろしかったらコチラからどうぞ→
写真でご紹介した応仁天皇陵、埴輪の窯跡などがある大阪・古市古墳群への歴史散歩はコチラからどうぞ→
今日のイラストは、
何となくミステリアスな「時の旅人」という雰囲気で・・・。
タイムマシンが欲しいですね~。
.
★あなたの応援で元気100倍!
↓ブログランキングにも参加しています
「 神代・古墳時代」カテゴリの記事
- 三種の神器のお話(2012.11.02)
- 「漢委奴國王」の金印の謎多きお話(2012.02.23)
- 農耕のはじまり~『御事始め』から連想(2012.02.08)
- 謎多き継体天皇(2012.02.07)
- 綏靖天皇・即位~記紀の「弟優先の法則」(2012.01.08)
「 由来・起源・雑学・豆知識・歴史」カテゴリの記事
- 色の日にちなんで~色の名称の成り立ち…基本は「黒白赤青」(2021.01.06)
- 恵方巻の風習と節分お化けの記憶(2020.02.03)
- 七夕と雨にまつわる伝説~脚布奪い星と催涙雨(2019.07.07)
- 「る」で始まる日本史の歴史人物~マジで0人説!を検証(2019.02.03)
- 横浜を造った実業家・高島嘉右衛門と『高島易断』(2015.12.23)
「 飛鳥時代」カテゴリの記事
- 持統天皇の夢を一身に受けた文武天皇の即位(2023.08.01)
- 謎が謎呼ぶ蘇我馬子の時代(2014.05.20)
- VS蘇我との決戦~物部守屋の討死と鵲森宮(2014.07.07)
- 新羅と日本…古代の関係(2013.03.22)
- 天智天皇の読み方~「てんち」?「てんじ」?(2013.02.25)
コメント
おっ!
埴輪登場ですね。はははは・・やっぱり、これはメインですものねえ。古代の時代考証は埴輪からしか出来ないからなあ・・。
で、早速古墳のページも見てきました。あの石を動かすイラストは、楽しいですね。ああいうの作ってみたいなあと思いつつ・・おばさんは、メカ?音痴なので、いまいちわかりません。そのうち勉強しなくっちゃあ・・。
投稿: 乱読おばさん | 2007年3月22日 (木) 10時10分
>乱読おばさん様
こんにちは~。
そうですね。
埴輪が無かったら、あの時代の衣装なんかはわからなかったでしょうね。
「百人一首」の持統天皇や天智天皇の絵は完全に平安時代の人になちゃってますもんね。
まさに、時代の証言者ですね。
HPまで見ていただいてありがとうございます~(#^o^#)。
投稿: 茶々 | 2007年3月22日 (木) 10時51分