壇ノ浦・先帝の身投げ
寿永四年(1185年)3月24日は、平家滅亡・・・あの壇ノ浦の合戦のあった日です。
壇ノ浦の合戦も、義経の八艘飛びなど、名場面が数々ありますが、今日は『平家物語』をベースに「先帝の身投げ」の部分を中心に書かせていただきます。
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都を落ち(7月25日参照>>)
一の谷の合戦(2月7日参照>>)
屋島の合戦(2月19日参照>>)
と、敗北した平家は、九州から壱岐・箱崎に城を築くつもりでしたが、もう、そこには源氏の手の者がおり、まわりの豪族たちもほとんど源氏についてしまったため、一旦、彦島(山口県)に本拠を設ける事にします。
西へと移動する平家を追って、源氏の源義経も水軍を編成し、西へと移動します。
源氏の水軍が近づいて来た事を知った平家は、平知盛(清盛の三男)を平家水軍の総大将に、23日の夕方から24日の明け方にかけて田ノ浦に軍を集結させ、壇ノ浦で迎撃をする作戦に出ます。
やがて白々と夜が明けると、お互いの目の前に軍が集結しているのが確認できました。
潮流の速度と方向の変化が激しい壇ノ浦・・・しかし、その事は平家も源氏も研究済み。
午前8時に開始された決戦は、平家が駒を有利に進めていきます。
正午頃には、源氏の陣形も乱れてしまい、守るので精一杯の状況・・・さらに、ちょうどこの頃、潮の流れが東向きに変わり、ますます平家軍が有利に・・・。
「もう、だめだ・・・」追い詰められた義経・・・戦闘員ではなく、舟の舵取りを弓で狙い撃ちするよう命令を下します。
屋島に引き続き、またもや武士道もへったくれもない義経の作戦ですが、これが見事に的中!
漕ぎ手を失った平家の舟は、折からの強い潮の流れに流されはじめ、そこに、ここぞ!とばかりに急襲する源氏軍・・・。
『平家物語』では、この逆転劇の影に、阿波民部重能の裏切りがあったとしています。
源氏に寝返った重能が、平家の作戦や、どの舟に誰が乗っているかなどと言う情報を流した・・・となっていますが、これは、あまりに劇的な形勢の変化を表現したいがための作者の創作ではないか?と言われています。
やがて、午後3時・・・一旦ぴたりと止まった潮の流れは、今度は東から西へ流れ始めます。
潮の流れも源氏の味方になってしまいました。
(合戦の状況については2008年3月24日もどうぞ>>)
そして、壇ノ浦に追い詰められた平家軍・・・。
「もはや、これまで・・・」と覚悟を決めた総大将・知盛は、自分の乗る小舟を、天皇の乗る舟に近づけて言います。
「もう、これまでです。見苦しい物はすべて海に捨ててください」
女官たちが、あわてて舟の上を掃除しながら
「中納言殿(知盛の事)、戦況はどうなんですか?」と聞くと、
知盛は
「もうすぐ、今まで見た事のない東国の男たちに会えますよ」
と言って、ケラケラと笑ったのです。
その様子を見て、「本当にもうダメなのだ」と知った女官たちは、一斉に悲鳴をあげ大慌て・・・。
しかし、ここに知盛以外にもう一人、少しも慌てる事なく、覚悟を決め落ち着いた人が・・・。
それは、亡き清盛の妻・二位尼(にいのあま=平時子)でした。
自分の娘・建礼門院徳子が生んだ安徳天皇のそばに静かに近づいて
「私は女ですが、敵に手にかかるのは嫌です。天皇さまのお供をするので、一緒に行きましょう」と声をかけます。
「いったい、どこに行くの?」
まだ、8歳の安徳天皇にはわかるはずもありません。
「まず、東に向かって伊勢神宮にお別れの御挨拶をしてください。
そして、今度は西に向かって、西方浄土の仏さまにお念仏を唱えてください。
この国は情けない国ですから、これから極楽浄土というすばらしい所へ私がお連れしますから・・・」
二位尼は、宝剣を腰に刺し、自分の言うとおりに挨拶をし終えた安徳天皇を抱き上げると
「波の下にも都がありますよ」
と、天皇に言いきかすようにして、そのまま海へと身を投げました。
立派な宮殿で大臣・公卿を従えて、一門に「蝶よ花よ」と可愛がられた天皇は、舟の上の不自由な生活から、やがて海の底へと向かったのです。
『悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、
情けなきかな、分段の荒き波、玉体(ぎょくたい)を沈め奉る・・・・
雲上の竜くだって、海底の魚となり給ふ・・・』
「なんて悲しい・・・無常の春の風は花のような天皇を散らし、荒波は体を海底へと沈める・・・まるで、雲の上の竜が海底の魚となるように・・・」
平家滅亡の瞬間でした・・・。
二位尼・時世
♪今ぞ知る 御裳川(みもそすがわ)の 流れには
波の下にも みやこありとは♪
今日のイラストは、
二位尼・安徳天皇とともに、海のもくずと消えた『草薙剣』のイメージで
安徳天皇の生存説については2010年3月24日のページでどうぞ>>
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