大阪・泉布観の一般公開
昨日、泉布観の一般公開に行ってきました~。
おかげで風邪が悪化・・・ダウン寸前ですが、行った甲斐ありのすばらしさでした~。
・‥…━━━☆
泉布観は、桜の通りぬけで有名な・・・いや、硬貨で有名な造幣局から、1号線を挟んで向かい側に建っています。
明治四年(1871年)に、造幣局(当時は造幣寮)の応接所として建てられた大阪で最古の洋風建築で、重要文化財に指定されています。
完成の翌年には明治天皇もおいでになり、外国の皇帝や王族のもてなしに使用された物です。
「泉布」というのは、「貨幣」の古い言い方、観は館と同じ・・・これだけ明治の様式を残したままの洋風建築は、全国的に見ても数少ないそうです。
構造はレンガ造りの2階建て、建物の周りにベランダを配置した「ヴェランダ・コロニアル」という形式。
建物の外周にある柱は「トスカナ式」と呼ばれる物。
窓はほとんどがベランダに出られるようになっている「フランス窓」・・・ここからベランダに出てとうとうと流れる淀川の流れを見たのは、いずこからいらしたプリンスなのでしょうか・・・。
建物の中は、まさに鹿鳴館の世界ですが、豪華絢爛・・・というよりは、ベタベタした飾りつけをする事なく、あっさりとした・・・清楚という感じ・・・それでいて優雅です。
各部屋に、大きな鏡や暖炉があり、当時貴重品だったタイルがさりげなく使われています。
証明器具も、電気となった今もガス燈時代の物がそのまま使われています。
成立したばかりの明治・新政府が、貨幣造りの近代化のためにイギリスから機械や建築材料などを購入して、当時の技術の粋を集めて設けられた造幣局・・・。
当時のこのあたりは「川崎村」と呼ばれていて、大阪商人の別荘が建ち並び、淀川での舟遊びの場所でした。
その景観を崩す事なく、それでいて近代的な造幣局のお客様をお出迎えするにふさわしい最新技術の洋館建て・・・本当に力を注いで建てられたのがひしひしと感じられます。
なんと言っても驚いたのはおトイレです。
当時、どこから水源を取っていたのかは、今となっては不明ですが・・・なんと水洗なのです。
鉛の管が通っていて水が流れるようになってます。
見た目、現在の和式トイレと変わりません。
もう一つ驚いたのは、見学する時、玄関でスリッパに履き替えて中に入るのですが、このスリッパの数がちょうど50足。
そして、その注意書きには、「スリッパがないときは、中に入らないでください。」
混んでいる時は、誰かが出て来て、スリッパが戻って来たら次の人が入る・・・という事ですね。
さすがにに、明治四年の建築・・・いくら、当時の最先端でも、これだけの年月が経つと、たくさんの人の重さに耐えられないのだそうです。
当時は建物の横に日本庭園もあり、その庭園の池に剃り出す形で能舞台もあったそうですが、今はわずかにその跡が確認できる程度。
私は泉布観の中に入るのは2度目ですが、やはりまたまた感動でしたね。
鹿鳴館風のドレスを着た淑女が、廊下の向こうから歩いてくる・・・そんな妄想に浸っていました。
今日のイラストは、
やはり鹿鳴館風の婦人に泉布観のベランダに立っていただきました~。
・‥…━━━☆
詳しい行き方は本家HP:【大阪歴史散歩・泉布観の一般公開】のページで>>(別窓で開きます)
建物の間取り図や、別の写真もupしていますので、よろしければご覧こださい
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コメント
おっ!
今日のイラストは素敵ですね。間違ったらごめんなさい。戸田伯爵夫人ですよね?いえ、このスカートのひだひだを私も描いたことがあるので・・。
投稿: 乱読おばさん | 2007年3月25日 (日) 09時27分
ワァオ!さすがですね~。
そうです。
あの伊藤博文を夢中にさせた戸田伯爵夫人です。
やはり、モデルは美人のほうが・・・
色は少し地味すぎたかな?
投稿: 茶々 | 2007年3月25日 (日) 10時02分