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2007年3月31日 (土)

次世代に残したい歌

 

大正九年(1920年)3月31日、作曲家・山田耕作さんらによって「日本作曲家協会」が設立されました。

山田耕作さんと言えば・・・
交響曲なども作曲されていますが、何と言っても「赤とんぼ」「待ちぼうけ」などの数々の童謡を思い出します。

・・・で、本日は「童謡」を思い出したところで、以前から気になっていた「日本の唱歌」について書かせていただきます。

Nihonsankei900o

先日の「青い目の人形」(3月18日参照>>)の時にも書かせていただきましたが、最近は音楽の教科書もさま変わりして、以前、教科書に載っていたような歌は少なくなり、代わりにユーミンなどニューミュージック系(これも、もう古いか?)の曲が載っているそうですね。

今朝のニュースでは、森山直太郎さんの「さくら」や、北島三郎さんの「祭」も新しく掲載されるとか・・・。

もちろん、「音楽」は読んで字の如く、楽しまなければ音楽じゃないわけですから、旧仮名遣いの、子供たちに意味のわからない、現在の生活に密着しないような曲ばかりではダメですし、時代とともに歌が変わっていくのは当然の事だとは思います。

とは言え、「次世代に残したい」と思う歌はあるわけで・・・そんな中で、時々音楽番組などで歌われる童謡や唱歌で、歌詞を変えて歌う・・・あるいは、排除して歌う・・・という行為はどうなんでしょう?

私、個人的には、今、楽しむ音楽とは別に「次世代に残したい歌」なのですから、その時代背景とともに、やはり、何とかそのままの状態で残していく事はできないのか?という気もしないではないのです。

たとえば、「冬の夜」という歌をご存知でしょうか?

『ともしび近く 絹縫う母は 春の遊びの楽しさ語る・・・』という歌詞で始まる歌です。

この2番の歌詞で
『いろりのはたに 縄なう父は・・・』の後、ここ10年ほどで、2~3回ほどしか聞いてませんが、最近では、
『いろりのはたに 縄なう父は 過ぎし昔の思い出語る・・・』という歌詞で歌われます。

これは、もとの歌詞は
『いろりのはたに 縄なう父は 過ぎし戦(いくさ)の手柄を語る・・・』という歌詞です。

これは、現在の放送コードに引っかかる物なのでしょうか?
それなら、放送する時は歌詞を変えるしかないとは思いますが・・・。

その後には・・・
『居並ぶ子供は 眠さ忘れて 耳を傾けこぶしを握る・・』と続くのですが、この部分はそのまま歌われています。

歌詞を変えた事によって意味の通じない歌になってしまっていますね。

昔の思い出話で、子供はこぶしを握りません。
戦争の話だからこぶしを握って聞き入るのです。
そこんとこの微妙な描写が完全に無視されてしまっています。

たしかに、次世代へどのように伝えてよいものやら、迷うところではあります。

もちろん、戦争は良くありませんし、決して繰り返してはいけない事は重々承知ですが、歌詞を変える事によって微妙なニュアンスまで変えてしまう事が良い方法なのかどうか?

かと言って音楽番組でいちいち歴史的背景を説明していると、それは音楽番組ではなくなってしまうわけですし、その時代背景の解釈自身が右や左の様々な意見があるわけですから、その説明だけで大討論会を開くハメになってしまいますしね。

「われは海の子」の7番、「蛍の光」の3番・4番などは、戦後に「軍国主義的な物は排除する」という方針のもと排除されたのでしょうが、「次世代に伝えたい歌」の歌詞がカットされる・・・というのも、しかたない事ですが胸が痛いですね。

私の大好きな歌に「里の秋」という歌があります。

『静かな 静かな 里の秋・・・』という歌詞で始まる歌です。

その中に、『ああ、母さんとただふたり 栗の実煮てます いろりばた』という部分があって、私は子供の頃から長い事、「なんでお母さんとふたりなんだろう?お父さんはどこへ行ったんだろう?」と思っていました。

3番・4番の歌詞を聴くと答えがわかるんですよね。
お父さんは南方の戦地へ戦争に行ってるんです。

『ああ、父さんよ ご無事でと 今夜も 母さんと祈ります』という歌詞も出てきます。

戦争が、兵士だけでななく、その家族をも巻き込んでしまう事をつくづく感じさせられます。

歌詞を変えたり、カットしたり、という何やら「臭い物に蓋」をするような事ではなく、その時代背景とともに、「生きた教科書」として「次世代に残したい歌」「次世代を荷う子供たち」うまく伝えて行く方法はないものでしょうか・・・。
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コメント

「いくさの手柄を語る父」に対して悩まされた世代としては、とても複雑なものがあります。
 なににつけ、手柄・・・これは、素直に喜べるものではない・・というのが現代の怪奇さかもしれません。仕事の痛快話なども親が子どもに何かを語る・・そういう時代ではなくなった・・。哀しいような・・切ないような・・。

投稿: 乱読おばさん | 2007年3月31日 (土) 08時55分

一家に一台のテレビの時代は、まだ、かろうじて親子の会話も成立していましたが、今や、各部屋にテレビがあり、子供は部屋に篭もりっきりの時代では、会話なんてありませんからね~。
子供は親の日常より芸能人のプライベートの方がくわしかったりして・・・

投稿: 茶々 | 2007年3月31日 (土) 09時29分

こんにちは!
私は今の現役学生なのですが、たしかに授業中で軍歌的なのはやりませんね。「仰げば尊し」もやらないくらいです。。ただ合唱コンクールなどでは戦争の悲しさや情景を歌うものは出てきますね。
戦争中の歌には今の歌に無いすごく感情的な意味深い歌詞がたくさん出てくるところは音楽の歌としても素晴らしいものではないかと私は思います!
戦争の歴史は人々にいつまでも語り継いでいくべきだと思います。そのためにも歌はいい手段ではないかと私は思いますね☆
それでは☆

投稿: 月影 | 2007年3月31日 (土) 13時09分

>月影さん、こんにちは~。

ドラマや映画も戦争の歴史を語り継いでいける手段だとは思いますが、どうしても現在の造り手の感情が見えすぎてしまう気がするのです。
その点、歌は当時の人が作ったそのままの歌詞で、ドラマよりも素直にその映像が頭の中に浮かんでくるような気がするんですね~。

そうですか・・・最近は「仰げば尊し」も歌わないんですね・・・歌詞が難しいですもんね・・・「いざ、さらば」と言って別れる人もいないだろうし・・・

投稿: 茶々 | 2007年3月31日 (土) 16時44分

『里の秋』も、世に出てくる前に変更されて、旧来の歌詞が歌われることは無かったようですが、今の3番と当初の3~4番はだいぶ変更が加えられているそうですね。元のは戦時中、今のは戦後と舞台設定が移っています。

「ああ、父さんよ ご無事でと 今夜も 母さんと祈ります」は、現行の歌詞ですね。原詞は↓のようなものだったそうです。

1.(同じ)

2.(同じ)

3.きれいな きれいな 椰子の島   
  しっかり 護って くださいと   
  あゝ 父さんの ご武運を
  今夜も ひとりで 祈ります

4.大きく 大きく なったなら
  兵隊さんだよ うれしいな
  ねえ 母さんよ 僕だって
  必ず お国を 護ります


川田正子さんのイメージか、子供は女児だと私は無意識に思っていたんですが、原詞ではハッキリ男児だったんですね。

投稿: 通りすがり | 2012年5月 7日 (月) 09時32分

通りすがりさん、情報ありがとうございます。

そうでしたか…
主人公は男の子だったのですね。
私も女の子だと思っていました。

投稿: 茶々 | 2012年5月 7日 (月) 15時54分

 私の亡くなった兄が時々酔っ払った時に「君が代の2番知ってるか?」と、冗談で言ってました。その時は2番なんてあるわけないと思ってたんですが、明治時代には2番・3番もあったんですね。
 茶々様がお書きになったように、蛍の光の3番・4番などもなんとかうまく伝えたいと私も思います。
 私自身は政治・経済・宗教・哲学などが苦手なので(ゴルゴ13で勉強してます)自分の考えを表明などできませんが、善し悪しはともかく、知っておくことが大事なんだと思います。

投稿: とらぬ狸 | 2015年4月10日 (金) 20時48分

とらぬ狸さん、こんばんは~

>知っておくことが大事…

私も大した意見は持ち合わせていませんが、ホントに、そう思います。

良くも悪くも知っておかないと…

投稿: 茶々 | 2015年4月11日 (土) 04時03分

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